
目抜き通りに伸びる一本のわき道。「東京」をぶらぶらと散歩すると、どんな出会いがあるのか。今回は赤羽駅で電車を降りた。(BRUDER編集部・合田拓斗)
赤羽「カトリック赤羽教会」
清らかな冬の光を受けて、赤羽の街は晩の賑わいを夢に引きずりながら、惰眠を貪っていた。通勤客の背景には、明りを落とした飲み屋の連なり。路面には夜の染みが残る。パチンコ店が開くのを待つ列の先に、その建造物はあった。

ヨーロッパの聖堂を思わせる佇まいは壮麗だ。中世に広まったゴシック様式は、都内ではもうほとんど見ることができない。外壁には均一に目地が引かれ、尖塔は鋭く天を突きさす。絵画で見たような教会だった。
「カトリック赤羽教会」設立のきっかけは1930年にさかのぼる。来日したポーランド人のマキシミリアノ・マリア・コルベ神父は、壮大な計画を抱えていた。映画やラジオが登場し、情報を広く発信できるようになった時代。コルベ神父は、「この世界にある一番良いものは、神様のために使われるべき」と考えていた。マスメディアを用いた東洋への宣教だ。

月刊誌『聖母の騎士』はこの頃に創刊された。同行したゼノ・ゼブロフスキー修道士と長崎に拠点を構えてから、わずか1カ月後のこと。最も歴史あるカトリック雑誌の一つは、現在1055号を発行している。
第二次世界大戦が勃発すると、コルベ神父はアウシュビッツ強制収容所で仲間の身代わりを申し出て、殉教した。

ゼノ修道士は戦後2年目に赤羽の地と出会った。空襲で焼けた土地を買い取り、1949年に小教区として設立。コルベ神父の遺志を引き継ぎ、宣教の拠点となる教会をスタートさせた。
建築時には難題が持ち上がった。朝鮮戦争の影響で資材が高騰し、建設会社に払う工事費用が不足した。しかし、彼らにとってお金の有無は取るに足らないことだった。「マリア様が何とかしてくださいます」の合言葉を胸に、職人に協力を呼びかけ、自分たちで建設を開始。まともな計画もないまま、完成した教会は故郷ポーランドのそれと似ていた。

2021年から主任司祭を務める平孝之さんは、「彼らはとても大胆ですよね。雑誌の発行も教会の建築も、全くの無謀でいて、実際すべてうまくいっている。『マリア様が示してくださる』で行動に移せる。でもだからこそ、ここは想いの詰まった場所なんです」と話す。聖堂内の長椅子がガタつくのは、手作りゆえのご愛敬だ。
昨年に設立75周年を迎えた。1953年から併設する幼稚園は、親子三代の卒園生も多い住民が慣れ親しんだ場所。スズラン商店街を通る『マリア行列』は毎夏の恒例行事だ。「もしここが汚くて、庭も荒れ放題だったら地域から受け入れられないと思う。人々から必要とされる教会でありたい」。教会は、せんべろの聖地と呼ばれる赤羽のシンボルになった。
司祭の道を選んだ理由

平さんは奄美大島のカトリックの家庭に生まれ育った。小学校卒業後は全寮制の神学校に進学。毎日が祈りの時間で始まり、下校後は午後7時から10時半まで自習、外出が許可されたのは月に2回ほどだった。「ほとんど街に出ることはなかった。世間のことは、あまり知らなかった」と最も多感な時期を閉鎖的な環境で過ごした。
人生観が広がったのは大学に入学してから。神学校を出て上京すると、周りは“普通の人”がほとんどだった。「『どうやら彼は神父になるらしい』と話題になっていたみたい」。全く異なる境遇で生きてきた友人と出会い、さまざまな経験をした。
しかし、卒業後の人生の方向性は同じではなかった。時はバブル絶頂期。友人たちが次々と有名企業に就職するなか、平さんは長崎に戻り、修練に入った。具体的には、毎日草取りをしていた。「相当、考えることはあった」と言う。
「自分も一流企業に入れたはずだった。千載一遇のチャンスを見逃して…。草取りなんて、いくらでも替わりがいるだろう」
空に浮かんだ雲を見るたび、時間が過ぎることの恐怖を感じた。「このまま、本当にここにいていいのか?」

修道院にはマチヤという修道士がいた。コルベ神父がいたころからの名物男で、平さんは毎晩のように部屋を訪れては、二人でボードゲームに興じた。
あるとき、マチヤさんに修道院にいる理由を聞いた。すると「私、忘れました」。彼は自分の年齢すら覚えていなかった。日本語はたどたどしく、ポーランド語すらおぼつかない。「この人の人生って、なんなんだろうと思った」と平さんは言う。
マチヤさん以外にも、修道院には庭掃除をし、聖堂を整え、食事を作る人がいた。60年間、ただそれだけを。「でも考えたら、それって大したことだと。企業でお金を稼ぐ生活と、草取りにだって同じだけの価値はある。それは天秤にはかけられないんですね」

「戦争で何千人の命を救った人もいる。コルベ神父は、一人しか救わなかった。でも、その価値は大きかったわけですよ。自分の選んだことを、続けるのも一つの価値だから」。平さんが司祭に叙階されたのは、神学校入学から15年後、28歳のときだった。
令和とキリスト教
人類が初めて神なるものの存在を信じてから、数千年が経った。AIやSNSが普及した世の中で、宗教に対しポジティブな見方をする人は必ずしも多くない。「宗教ってどう? と人に聞くと、『怖い。あまり関わりたくない』って言うんですね。一定のイメージの中で、宗教が片付けられてしまっている」と実感がある。

聖書では、すべては神による“言葉”が創造したとされる。「キリスト教は、言葉を大切にする宗教です。言葉には人を動かし、変える力がある。でも同時に、人を殺す力もある」。誰もが簡単に意思を発信できる時代。利便性だけでなく、言葉の重さにも変化がある。
「言葉というのは、本来はとても重いもの。教会に来るかどうかではなく、大切なのは使い方ですよね。技術が進歩する世の中で、人がどう在るか」。信仰心の有無に関わらず、自分を見つめ直す場として教会は開かれる。

外へ出ると、正午を告げる教会の鐘が聞こえた。ごそごそと朝寝から這い出てきた赤羽の街の、背中を起こすような音色だった。今年のクリスマスは、自分の姿勢を意識してみようか。
<関連記事>【御徒町編】御徒町で“最深”のひとり時間 宝石のカフェで青の世界に沈む
お散歩マップ
COOPERATION

東京の道を曲がる
Edit & Text & Photo : Hiroto Goda








