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“盆栽=おじいさんの趣味”はもう古い 自由が丘の専門店が提案する生活の品

目抜き通りに伸びる一本のわき道。「東京」をぶらぶらと散歩すると、どんな出会いがあるのか。今回は自由が丘駅で電車を降りた。(BRUDER編集部・合田拓斗)

自由が丘「品品」

数十年後の自分を想像してみる。今と変わらず猫背で本をめくるか、健脚を生かして、桜前線を追って日本横断なんかしているかもしれない。月並みなイメージでは、縁側で「盆栽」をいじる姿が浮かぶ。小さな鉢に植わる木の中に、人はどんな世界を見るのだろう。

自由が丘に行った。霧雨の中、秋服姿の行列が改札で交差しては別方向へ離れていく。円形の駅前に飲食店、カフェ、雑貨屋、花屋、美容院とあらゆる店がひしめいていた。供給の幅が広いせいか、集う人々も学生から宝石をつけたマダムまで、実に多種多様である。

ロータリーから伸びる道がさらに枝分かれするせいで、まるで迷路にいるようだ。しばらく思案して、レンガ敷きのマリ・クレール通りのほうへ行った。ところで、途中女性向けサロンのビラを渡されたのだが、あれはなんだったのかしら。

奥沢方面に坂を上がると住宅街になった。閑静な通りを行くと、家々の合間に植物の茂る建物が見えてくる。盆栽のモダンスタイルを提案する「品品」。入口に向かう通路に、大小さまざまの形をした緑が並んでいた。うっかり鉢を割らないよう玄関まで進んだ。

店内に入ると、和室を連想するお香が鼻をついた。電灯を舞台照明のように浴びた木々が鎮座する。山道の高齢樹を思わせるものがあれば、手のひらサイズの若枝もあった。はみ出すように物を置くさまが、なんだかマニアが引きこもる地下研究所みたい。

店は盆栽作家の小林健二さんが2002年に開いた。元は造園に関わる事務所で設計をしていたが、人の伝手を機に転身をはかり、米国で活躍する日本人の盆栽作家に弟子入りした。まだ盆栽=おじいさんの趣味だった時代。しかし、海外からでは違った見え方がした。

小林さんは「アメリカでは、当時から年寄りだけでなく、若い人も、盆栽はアートとして考えられていた。日本で感じていた敷居の高さはなく、“BONSAI”として広まっていました」と当時を振り返る。高尚な趣味ではなく、生活空間に溶け込むスタイル。これが開店時の指針になった。

提案するのは「景色盆栽」という新たなジャンルだ。木そのものに価値を見出し、見せ方を追求する従来とは異なり、盆栽を取り巻くあらゆる要素を趣ととらえる。一本の木をどう飾り、どんな鉢に植え、どこに置くか。なにを選ぶかで、見える景色は変わる。

店に並ぶ木々について、小林さんは「学校でいう生徒A、Bなんです」と言う。「同じ鉢で似ているようだけど、よく見ると、大人しい子もいれば、キザな感じの子、暴れん坊もいる。じっと観察すると、それぞれのキャラクターがつかめる」。犬や猫と同じように、個性が見えれば愛着もわくもの。「こんな、喋らない子たちですけどね」と言葉も弾む。

ほかの園芸とは異なり、“手がかかる”ことこそ盆栽の本質だったりする。毎日、朝日を浴びながら小さな生命に水をやる。忙しない日々のなか、温かいスープをゆっくりと飲むような、そんな時間になるかもしれない。

年に一度しか実らない種類だってある。冬の間、葉のない枝に水を与え続け、ある春の朝、ぱっと桜が咲いていたら…。「じゃあ、週末は家で花見をしようかってなりますね」。花が落ちても、世話を続ければ来年も、再来年も咲く。正解も完成もないから、気の済むまで手を動かせばいい。

しかし、一つ上手くいくと次が気になるのが人間の性。どツボにはまるのも頷ける。「春だけでなく秋も楽しみたくなって、ほかのもほしいとなる。まあ、それくらいで止めたほうがいいですね(笑)」

数十年後の自分を想像してみる。ふむ、なるほど。盆栽をいじるおじいさんの目に映る世界が、少し見えた気がした。

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Edit & Text & Photo : Hiroto Goda

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