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300年続く職人の生き様 江戸風鈴の音が呼び起こすもの

目抜き通りに伸びる一本のわき道。「東京」をぶらぶらと散歩すると、どんな出会いがあるのか。今回は篠崎駅で電車を降りた。(BRUDER編集部・合田拓斗)

篠崎「篠原風鈴本舗」

新宿線に乗って江戸川区の篠崎町を訪れた。雑多な店を詰め込んだ駅前に出る。お盆が近いせいか人は少ない。信号を渡る園児の列が、交番に立つ警察官に手を振った。カメラを構えると、レンズの左端から杖を突いた老人が現れて、10秒ほどかけて右へ去った。

路地を入るとすぐ住宅街になる。単調な道のりがかえって歩きやすい。家々の先に首都高が見えた。高架下は都心に向かう車でいっぱいだった。停止したタイヤが回り出すたびに、蒸し暑さが増す気がした。

空一面を重さを含んだ雲が覆う。日差しはないが、湿気が肌を舐めるような。道端に蝉の死骸が落ちていた。まだ羽根が青かった。

首都高沿いに歩き、グレーっぽい通りを選んで曲がる。しばらく行くと小さな運動場があった。子どもたちが野球の練習をしている。打つ側も守る側もミスばかりで、汗を散らして走るばかりだった。息の乱れを気にしない姿が懐かしかった。

喉が渇いたので、十数年ぶりに公園の水道水を飲んだ。蛇口を回しすぎて、ぱしゃぱしゃ水が跳ねた。鉄の味がするイメージで口に含んだが、案外普通だった。

汗を拭い公園を出る。町工場が並ぶ通りを進むと目的の看板が目に入った。1915年創業の「篠原風鈴本舗」。小ぢんまりとした外観に品のいい暖簾がかかる。室内をのぞくと風鈴が下がるのが見えた。

建物は手前の売り場と奥の製造所からなる。商品棚に並ぶのは「江戸風鈴」だ。江戸のあった東京で、300年変わらない製法で作ることから二代目の篠原儀治さんが名付けた。

最大の特徴は型を使わない「宙吹き(ちゅうぶき)」という方法。職人は溶けたガラスを空中で膨らませる。経験と勘だけが頼りなので、完成した風鈴は大きさや形、音にまで個性がある。

製造所に入らせてもらった。殺風景な空間に炉が置かれる。1300度を超える内部から漏れる熱気を、扇風機がむなしくかき回していた。職人は途中から来たこちらには顔も向けない。竿でガラスを巻き取り、ぷうと膨らます。その繰り返しだった。額には汗が玉になって浮かんでいた。

成形したガラスが冷めると、順番に叩いてくれた。並べて聴くと、それぞれが独自の音色を持つのが分かる。縁の部分をぎざぎざにするのも江戸風鈴ならでは。棒を滑らすと、雨が降るようなメロディだった。その間、職人はひと言も話さなかった。

三代目・裕さんの妻で、現取締役の恵美さんは言う。「溶けたガラスを自由に操るのは本当に難しい仕事。義父(二代目)は名人と呼ばれた人でしたが、それでも『納得のいった風鈴は一個もできなかった』と言っていた」。単に職人技のひと言でくくれないものがある。

恵美さんは結婚を機に風鈴の道に入った。元は小学校の教員で、もの作りに興味があったわけではない。当然、すぐには生活に慣れなかった。「なんでこんなに働くんだろうって。一日中働いて、休みもなかった」。朝、寝室を出ると誰かが働いていた。夕食後に部屋に戻るのは自分だけだった。午前2時に目が覚めると、人の動く音が聞こえた。

日々を重ねるうちに、風鈴と向き合う自分が馴染んだ。「分かってくることだけど、注文に間に合わせるためなんですね。(働けと)無理強いをされたことはない。周りを見て、自分もやらなきゃって」。気づけば45年近くの月日が流れていた。

主に担当するのは絵付けだ。一般的なものとは異なり、江戸風鈴はガラスの内側に絵を描くから表面に艶が残る。伝統を守る吹き方に対し、デザインは様変わりしたという。「昔は数を作ることが重要で、絵も単純だった。今はもっと繊細。絵付けにかける時間も伸びた」。透明な玉に映る絵は、ビニール袋を泳ぐ金魚みたいな鮮やかさだった。

2014年に夫の裕さんが亡くなった。壁には先代の言葉が残る。「風鈴には正解がない。良い音の価値観も、日によって、人によって変わる。『これでいいや』って思ったら終わりなんです。300年間続いたこの道を、この後の300年も続けられたら」。ゴールのない道を、日々歩いている。

窓辺に寄ると、ちりん、と音がした。昔の夏が近くを走る気がした。

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東京の道を曲がる

Edit & Text & Photo : Hiroto Goda

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