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オトナが童心に帰る“鉄ちゃんの隠れ家” 祐天寺のカレー屋は夢を作る

目抜き通りに伸びる一本のわき道。「東京」をぶらぶらと散歩すると、どんな出会いがあるのか。今回は祐天寺駅で電車を降りた。(BRUDER編集部・合田拓斗)

祐天寺「カレーステーションナイアガラ」

平日の昼下がり、祐天寺駅は陰の中にあった。ロータリーにはバスを待つ小さな列がある。地面からにょきにょきと生えたような人影が、ぽつぽつと駅に吸い込まれていった。正面の花壇が風に揺れると、色彩が散った。

正面の商店街を抜ける。高校のわきを通って祐天寺まで行くと、境内のほうから子どもたちの声が聞こえた。「お願いだ!」「わー! やめてくれー!」どうやら鬼ごっこをしているらしい。声は掠れていて、無理に張り上げるような感じだった。声変わりだろうか。

高校生の下校の列とすれ違う。姿が見えなくなると、楽しげな声だけが残った。自転車にはしばらく乗っていないなと思った。

駒沢通りを曲がり商店街まで戻ると、唐突に巨大な鉄の塊が現れた。周りの木をパキッと折ってしまいそうなほどに大きい。看板には「C57117号蒸気機関車主動輪」とある。1973年の宮崎植樹祭で昭和天皇のお召し列車をけん引したものらしい。

貴重な文化財がなぜこんなところに? 看板の右下に所有者の名前があった。

「カレーステーション ナイアガラ」

店は主動輪から2、3分の距離にあった。ヘッドライトが点いた機関車の先頭部分に、古い駅舎を思わせる三角屋根。踏切警報機からはカンカンカンという音が響いている。「B寝台」と書かれた扉を開くと、頭上のベルがガラガラ鳴った。

狭い店内は隠れ家を思わせる。時代物の駅看板や出札所があり、鉄道の模型やら制帽やら、所狭しと物が並ぶ。「1番線」などと表記された木製の座席は、想像する昭和のボックス席のようだ。

入口のわきには肖像画がかかる。「ナイアガラ」の初代店長、“駅長”こと内藤博敏さん。あふれるほどの鉄道グッズ、道中にあった主動輪を集めた張本人だ。

でも、なんでカレーと鉄道? 背景となった体験は80年前にさかのぼる。当時小学生だった内藤さんは、戦禍を避けるべく親元を離れることになった。出発の前夜、母はカレーを作ってくれた。疎開先では環境に馴染めず、放課後には近くの駅で機関車を眺めた。「これに乗れば、お母さんのところに帰れるんだ」。佇む少年に、駅員は切符や制服のボタンをくれた。これが原風景となった。

創業時は一般的な洋食屋だったという。カレーが看板メニューとなり、経営が軌道に乗ると、次第に店内は好きなものであふれた。コック帽を脱ぎ、制帽を被った。気づけば、客からは「駅長」と呼ばれていた。

駅長の息子で2代目の「助役」から後を継ぎ、現在は駅長の甥である水野高太郎さんが代表を務める。「昔から、人手が足りないときは店を手伝っていた」と「駅員3」として本業のかたわら店に立つ。

カレーは初代から続く昭和の味だ。数十種類のスパイスを調合し焙煎、ルーのもとを作るのは水野さんの担当。「焙煎機を使って、ガンガン火を起こして3時間。いやあ、地獄です」と笑う。

料理を運ぶのは人…ではなく蒸気機関車だ。「2番線、カツカレー発車します」と号令がかかると、荷台にカレーを載せた鉄道がガタゴトと壁際を走ってきた。

銀スプーンで大きく一口。幾種類のスパイスを使っているとあって、素人舌にも味の層が分厚いと感じられる。一般的に味が淡泊になりがちな甘口も濃厚だ。たっぷり乗ったカツは揚げたてで、大変美味しい。

がつがつ食べていると、突然、不意打ちを食らったような気になる。カレーの写真を撮っていない。すでに半分近く平らげていた。やってしまった。仕事も忘れるくらい美味しかった、ということにしよう…。

集まる客の顔はみな、どこか子どものようだ。店で夢を持った少年もいた。「その子は、本当に新幹線の運転士になったんです。『あのときの子どもです』って来てくれて。嬉しかったですね」。駅長のロマンが詰まった場所が、人々の原風景になっていく。

自分にとっての原風景はなんだっただろう。どこか地面を掘り返せば、タイムカプセル的に見つかるだろうか。自転車に乗って探しに行くのもいいかもしれない。

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東京の道を曲がる

Edit & Text & Photo : Hiroto Goda

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