BRUDER

メニュー 検索する
閉じる

ムダを愛する美学 蔵前の文房具屋が思い出させるもの

目抜き通りから伸びる一本のわき道。不意の出会いに心を引かれ、思わず“道を曲がった”経験はあるだろうか? 「東京」の街をぶらぶらと散歩すると、どんな出会いがあるのか。今回は都営浅草線蔵前駅で電車を降りた。(BRUDER編集部・合田拓斗)

蔵前「カキモリ」

蔵前橋の欄干から首を伸ばすと青空が近づいた。日に輝く隅田川が真下を流れ、橋の向こうには高速道路やマンションが連なる。東京スカイツリーの高さは圧倒的だった。宇宙人の地球支部みたいに見えなくもない。ことしで開業13年になるそうだ。

十数年前までアナログ放送を見ていたというのが信じられない。短い時間でさまざまなことが変わった。あまりにスピードが速いので、変化の過程で、なにか大事なものを忘れてしまったような気もするくらいに。

隅田川沿いは、そんな考え事をしながら歩くのに向いている。厩橋(うまやばし)で折れて春日通りに入った。1月にしては暖かな日で、シャツ姿の人もいる。道路沿いには歴史を感じさせる建物や店が多かった。ときおり、時間のシミのようなにおいが鼻をついた。

路地の多い街だと感じる。大通りにいくつも細い道が伸びて、ぱらぱらと人が出たり入ったりしている。曲がり角からのぞいても、その目的地はうかがい知れない。道は曲がった先でさらに折れていた。まるで複雑な作りのアリの巣みたいだ。

新御徒町駅の手前で路地に入った。閑静な住宅街を通って昭和レトロな商店街「おかず横丁」を抜け、信号を渡って鳥越神社まで行く。道を左に進んだところで気になる店を見つけた。

2010年オープンの文具店「カキモリ」。格子窓の向こうに、広々とした空間と人々の柔らかな表情が見える。“専門店”らしからぬ開放感に心を引かれた。

木目を基調とした店内はどこか教室を思わせる。四方の壁にはオリジナルのペンや鉛筆、蔵前の工場やアーティストの手に成るノートが並ぶ。コンセプトは『たのしく、書く人』。デジタルが浸透した現代で、手書きの時間を特別にするアイテムを提供する。

「一昔前に比べて、いまは書く機会がだいぶ減っていますよね。でもそんな時代だからこそ、逆に書くことの価値は上がるんじゃないか」と話すのは副店長の伊比えりかさん。たしかに、最近は日常でペンを持つ機会はほとんどない。パソコンやスマホのほうが効率的だ。子どものころから親しんできた行為なのに、いまでは非日常的ですらある。

伊比さん自身、社会に出てすぐは書く機会が減っていたという。それでもふとしたときに、手がペンを握りたくなった。「小さいころから、書くことは好きでした」。考えごとをまとめたり、日記をつけたりと目的はさまざま。自分の感情をゆっくりと文字にしていく時間はほかに代えがたいものだった。

看板サービスは客が自分の好みで作り上げるオーダーノート(3000円~6000円)だ。デザインを重視するも、書きやすさに凝るも良し。いくつもの選択肢から表紙、中紙、留め具を自由に組み合わせ、その場で製本まで行う。世界に一つだけのノートとなると、なにを書くか考えるのも一興だ。

また、理想の色を調合するオーダーインクサービスもある。

単に書くだけならコンビニや百均で買ったもので十分だろう。だが、効率的でないものに金や時間を費やすことは“粋”だったりする。

「うちの商品は、正直お手頃価格ではない。でもあえてこだわったものを使うことで、日常が特別になる。思い入れを持てる文房具との出会いの場に、『カキモリ』はなりたいんです」。無駄なものにこそ人は愛着を持つのかもしれない。

店にいるうちに、久しぶりに鉛筆が握りたくなった。今度時間を見つけて、なにか書いてみようと思う。忘れものも思い出せるかもしれない。

<関連記事>デジタル時代も“紙”派なあなたへ 令和文房具の三種の神器


Edit & Text & Photo : Hiroto Goda

閉じる