ファインダー越しの記憶~バルタスロールの歓喜 ミケルソン 2勝目への長い夜 2005年全米プロ

写真・文:宮本卓 | 構成:GDO編集部

01 2勝目のむずかしさ

メジャー1勝目が難しいのは間違いないが、タイガー・ウッズも味わったように、メジャー2勝目はもう一つの難しい関門だ。フィル・ミケルソンも2004年マスターズに勝ち、その年の全米オープンで2位、全英オープンは3位、全米プロ6位…とあと一歩のところで2勝目を逃した選手だ。翌05年のPGAツアーでは前半で3勝していたが、メジャーでは優勝争いには程遠かった。

02 最終日のタイガーチャージ

そして迎えた「全米プロ」、初日3アンダーで首位タイと好スタートを切ったが、1打差以内に17人がひしめく大混戦の中だった。タイガーも初日に「75」と出遅れたが「69」「66」と追い上げ、最終日は「68」でホールアウト。通算2アンダーでクラブハウスリーダー(ホールアウトした選手での1位)となった。

03 最終日サスペンデッド

その日は朝から天候が悪く、途中で中断もあり、最終組のフィルは14番で1mのパーパットを残し日没サスペンデッドとなった。プレーオフが翌日に行われることはあっても、メジャーで最終ラウンドが翌日にまたがることは珍しい。フィルはその時点で2つ落として通算4アンダー。なんとか初日からの首位を守り通していた。

04 眠れぬ夜、にはしなかった

ゴルフの難しさは夜の過ごし方だと誰かが言っていた。メジャーに勝ちたい。そんな想いの中、夜を過ごす苦しみは想像絶するものだろう。しかも、限界まで引き上げている戦闘態勢を、あと一日余分に維持しなければならない。

フィルはその日残した14番のパットに集中して寝たという。上りのまっすぐで比較的簡単なパーパットが幸いした。バルタスロールの特徴で、17、18番のあがりホールがいずれもパー5ということも、その頭にはあっただろう。考え出せば、きっときりがない15番以降の優勝争いは考えなかった。

05 首位タイに並んで最終18番へ

月曜日は快晴。熱い戦いが始まった。前を行くトーマス・ビヨーンとスティーブ・エルキントンはともに通算3アンダーでホールアウト。タイガーの優勝はなくなった。16番パー3をボギーとしたフィルは17番でバーディを取り返せず、首位タイの通算3アンダーで最終18番を迎えた。だが、バーディで優勝だと思うと逆に気持ちがワクワクしていたという。アゲンストの風を切り裂く素晴らしいドライバーショットを放ち、18番ティに残るジャック・ニクラスの記念プレートに触れた。1980年に行われた全米オープンで青木功と繰り広げた、歴史に残る同地での死闘を記録したプレートだった。

06 アプローチで勝利のガッツポーズ

2打目は果敢に3Wで攻めてグリーン右まで運んだ。グリーン周りは深いラフだったが、フィルには小さい頃から遊びながら覚えた得意なアプローチがあった。プレッシャーがかかる場面でもアグレッシブなアプローチで1mにつけた。フィルには珍しく激しいガッツポーズが飛び出した。

07 勝者ミケルソンのメンタル

メジャー出場50試合目での2勝目。たやすい道ではない。でもフィルは優勝会見でこう答えた。「8試合(2年間)でメジャー2勝だよ」。その後の11年間でメジャー優勝を重ね、現在は通算5勝を数えている。

宮本 卓Taku Miyamoto

1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Clubほか、国内数々のオフィシャルフォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。

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