ファインダー越しの記憶~第1回大会の地へ ミステリーで始まった僕の全英オープン取材歴 1989年全英オープン

写真・文:宮本卓 | 構成:GDO編集部

01 NY発グラスゴー行き

初めて行った1989年の全英オープンで、いまだに不思議なことがある。ニューヨークからノースウエスト航空でグラスゴーに向かった。チケットも行き先は「GLASGOW」となっていた。

隣に座ったのがニューヨーク・タイムズの名物ゴルフ記者、ゴードン・ホワイトさんだった。普段PGAツアーでも顔を合わせていたのだが、ちょっとおそれ多くて話しかけたことはなかった。初めての全英でワクワクしていると話したり、スコットランドのコースの情報を聞いたりした。

02 グラスゴー到着???

着陸し、通関を済ませ荷物受け取ろうと待っていたのだが、なんか様子がおかしい。空港がなぜこんなに小さいのだろうと不思議に思っていて看板を見るとプレストウィック空港となっていた。

一瞬、空港を間違えたかと思って焦ったが、ゴードンさんも平気な顔をして荷物を待っている。あんなベテラン記者が間違えるはずないし、もう僕の頭の上にはいくつものクエスチョンマークが踊っていた。

03 奇妙な工程・・・5分で会場入り

不安の中、レンタカー会社に行ってみて「全英オープンに行くのだがここで間違っていないか」聞いてみると、大丈夫だという。地図を見ながら車を走り出すと、ものの5分ほどでコースに到着してしまった。なんだかキツネにつままれたような、釈然としない気持ちで全英オープンは始まった。

04 全英オープンの原点

初めてのスコットランド、見るもの全てが新鮮だった。その旅には、全英オープン取材の他もうひとつ目的があった。第1回全英オープンの開催コース、プレストウィックGCを是非とも撮影したいと思っていた。1860年の第1回大会から1914年までに23回開催され、第一次大戦以降は1度も開催されていない。

05 トレビノの叔父さんとプレー

ロイヤル・トゥルーンの隣といっていいコースで、撮影の許可は取っていなかったが、まずはコースへ行ってみた。図々しくも「ラウンドしながら撮影したい」と言うと、「今ちょうどトレビノの叔父さんという人が一人でまわるので一緒にラウンドしたら?」とすんなりOKがでた。イギリス初ラウンドがプレストウィックとは幸先がいい。

06 ダブルボギー発進・・・

1番はグリーンに向かって右側に電車が通る名物ホールで、これにはめちゃくちゃ緊張した。いきなりリンクスコースからカウンターパンチを受けたようで、ダブルボギーのスタートとなった。その後3番のカージナルと名付けられたホールに立った時は度肝を抜かれた。目の前に大きくひろがる巨大なバンカー。このコースで140年も前に選手たちが戦っていたかと思うと武者震いがしてきた。

07 目を奪われた18holes

5番のブラインドのパー3には、グリーン脇にホールアウトしたことを後ろの組に知らせる鐘があった。その向こうに見えるのは、数日前に到着したプレストウィック空港だ。アルプスと呼ばれる17番では、コースのアンジュレーションの向こうに暮れなずむプレストウィックの街並みを望んだ。「なんじゃこれは…」と思わせるコースレイアウトの連続で、ホールアウトした時には、極上のミステリー映画を3本立て続けに観たくらい、どっと疲れを感じた。

08 全英取材25年の始まり

ラウンドが終わって、トレビノの叔父さんとコース近くのバーに立ち寄り、ビールで乾杯した。午後10時近いというのにまだ外はほんのり明るい。

スコットランドのリンクスコースの魅力が少しばかり分かったような気がしてきた。トーナメントも面白いが、こういったゴルフをしながらの寄り道がたまらない。

出来すぎた話に聞こえるかもしれない。でも実際に、僕の25年以上にわたる全英取材行はこうして始まったのだ。

宮本 卓Taku Miyamoto

1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Clubほか、国内数々のオフィシャルフォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。

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