ファインダー越しの記憶~これぞアメリカンドリーム ジョン・デーリーが登場 1991年全米プロ

写真・文:宮本卓 | 構成:GDO編集部

01 二クラスが紹介していた有望株

2014年に松山英樹が米ツアー初優勝を果たした「ザ・メモリアルトーナメント」は例年、大会ホストのジャック・ニクラスが水曜日に練習場で行うエキジビションが名物イベントだ。1991年、ニクラスはそこでギャラリーに一人の有望株を紹介した。明らかにその場に不釣り合いな、あんちゃんのような出で立ちの金髪青年だった。

02 規格外のスイングと飛距離

「ジョン、1発ドライバーを打ってみてくれ」とニクラスに促され、ティアップした。今まで見たこともないような深いトップスイングから快音が放たれ、ボールは練習場の奥へと消えて行った。「おいおい、ジョン。まだ練習場の奥の家に保険をかけていないんだ」と、ニクラスは満足そうにすかさずジョークをかました。その大会で最下位だった男、「ジョン・デーリー」の名前はその時はっきりと頭にインプットされた。

03 間に合った全米プロのスタート

そして同年8月に奇跡は起こった。全米プロで優勝候補のひとりだったニック・プライスが奥さんの出産に立ち会うため、開幕前夜に欠場を表明。補欠9番目のデーリーにチャンスが巡ってきた。デーリーは急きょアーカンソー州の自宅を車で出発。ミズーリ州とイリノイ州を越えて約900km、夜を通して走り続け、インディアナ州のクルキッドスティックGCに到着したのは大会初日の朝だった。

04 奇才ダイのコースを攻略

ぶっつけ本番で挑むしかなかったがプライスのキャディのスクイーキーが名乗りを上げた。クルキッドスティックGCは名前の通り杖が曲がってしまうほどタフなコースで、奇才ピート・ダイの作品。多くの出場選手が苦しむ中、初日3アンダーの6位と好スタート。2日目トップに立つとあれよあれよという間にメジャー初優勝を飾った。

05 スター誕生の瞬間

よくアメリカンドリームという言葉が使われるが、まさしくそのドラマを見た。良きにつけ悪しきにつけ、その後のデーリーはゴルフ界では傑出した注目度の高さを保っている。

スーパースターの誕生を目撃した大会だった。

宮本 卓Taku Miyamoto

1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Clubほか、国内数々のオフィシャルフォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。

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