ファインダー越しの記憶~もう一人の日本人が成し遂げたメジャーでの快挙 in フロリダ 1987年全米プロ

写真・文:宮本卓 | 構成:GDO編集部

01 日本女子大活躍の余韻とともに

初めての全米プロの取材は1987年。フロリダ州のPGAナショナルで行われた大会だった。その2週間前に全米女子オープンで、岡本綾子がプレーオフで負けて2位、服部道子がベストアマ獲得――と日本人選手の大活躍を目の当たりにしたばかり。興奮冷めやらぬ感じでフロリダに入った記憶がある。

02 真夏のフロリダでメジャー初開催

PGAナショナルは現在、米PGAツアーの「ザ・ホンダクラシック」が毎年2~3月に行われている難コース。真夏にフロリダでメジャーが開催されるのは初めてのことだった。日の出とともにグングン上昇していく寒暖計と肌にまとわりつくような湿気に不安は覚えたが、ウエストパームビーチの海岸沿いを車で走りだすと気分は晴れやかになった。

03 青木と中嶋は去り、青年現る

87年の全米プロに出場した日本人選手は青木功と中嶋常幸の2人だ。全米女子オープンに続く日本勢の活躍を期待したが、日本では経験したことのない暑さもあって、コースに歯が立たず予選落ちに終わった。日本人選手がいなくなって途方に暮れていると、もう一人の日本人が視界に飛び込んできた。3日目を終えて1アンダー6位につけたラリー・ネルソンのキャディで、ヒロ武田くんという日本人青年。白いサンバイザーの下の日焼けした顔が印象的だった。キャディを含めても日本人のメジャーでの優勝はまだいない。応援する気持ちも込めてレンズを向けた。

04 大混戦の最終日 ネルソンが奮闘

迎えた最終日は前日までのトップグループが揃って大きくスコアを崩した。そんな中、粘り強いスコアメークを見せたネルソンとラニー・ワドキンスが、目まぐるしく首位の座を奪い合うシーソーゲームを展開。ネルソンは17番のバーディーでワドキンスに追いつき、勝負はプレーオフへもつれこんだ。ネルソンが当時所属していたジョージア州のメトロポリタンというコースで社員として働いていた縁でバッグを担いでいたヒロ武田も、もちろんそのデッドヒートの中にいた。

05 どよめきを起こしたパーパット

10番パー4で行われた1ホール目は、ふたりともパーオンができなかった。アプローチで1.8mにつけたネルソンに対し、ワドキンスはネルソンの内側1.2mにつけた。「マークを動かそうか?」と聞くワドキンスに、ネルソンはそのままでいいと首を振った。あたりはもう暗くなり始めていた。ネルソンの打ったパーパットはワドキンスのマークに当たって、そのままカップイン。グリーンを囲んだギャラリーからどよめきが起こった。続くワドキンス。明らかに空気が変わった中で、パーパットを外して、勝敗は決した。

06 歴史に名を刻んだヒロ武田

テレビはライブ中継中。なだれ込むギャラリーに囲まれ、ネルソンの優勝セレモニーが始まった。ネルソンは81年大会に続く全米プロ2勝目、メジャー優勝を3回とした。そして、キャディのヒロ武田は日本人として初めてメジャーの優勝を経験した。選手はもちろんキャディでも、その経験を持つ日本人は、いまだに彼以外存在しない。

宮本 卓Taku Miyamoto

1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Clubほか、国内数々のオフィシャルフォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。

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