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旅する写心~Somebody Loves Me

人との出逢いで人生が大きく変わることもある。

ニューヨークの証券会社社長令嬢として育った
マリオン・ホリンズは1921年に全米女子アマで優勝。
その後、父から西海岸の不動産事業を任された。
モントレー半島のサイプレス・ポイントと
パサティエンポのゴルフ場と宅地開発。
彼女はゴルフ場の設計者にアリスター・マッケンジーを選んだ。

二つの土地は距離的には近いものの、
荒々しいサイプレス・ポイントとは違い、
パサティエンポは穏やかな空気が漂っていた。
マッケンジーはその両方の土地に相応しい、
見事なゴルフ場を作った。

1929年、となりのペブルビーチで行われた全米アマで
当時のスーパースター、ボビー・ジョーンズは
まさかの1回戦負けを喫した。
その時ホリンズは、旧知のジョーンズに、
完成したばかりのサイプレス・ポイントに誘った。
ジョーンズは圧巻のデザインに驚いた。

ホリンズはそこに居合わせたマッケンジーを紹介し
二人の出逢いはここから始まった。
翌1930年、ジョーンズは前人未踏のグランドスラムを達成し、
ゴルフ競技から引退を決意。
それまで夢だった自身のゴルフ場建設に乗り出した。

設計家は迷わずマッケンジーを指名。
オーガスタ・ナショナルはこうして始まった。
マッケンジーはパサティエンポの6番ホールの左側に
終の住処となる場所を選んだ。
しかし1934年、オーガスタの完成を見ることなく
マッケンジーはこの世を去った。

ゴルフ史上最高の出逢いは
荒々しい波の音が聞こえる半島の突端だった。

宮本 卓Taku Miyamoto

1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。

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