BRUDER

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旅する写心 〜Miracle Shot

ワイアラエCCの夕方
撮影も兼ねて食事前に9ホール
青木さんとラウンドした。
「なんかあの時と
今日はピンポジが似てるなー」
記憶を辿るラウンドになった。

1983年のハワイアンオープン最終日
1打差を追った最終18番(パー5)で
青木さんは劇的なイーグルを決めて、
日本人初の米ツアー優勝を果たした。
あの一打の場所を覚えているだろうか?
「この辺だったかな」と
残り128ydの左ラフにボールを転がしてくれた。

ピンはバンカーの上に
立っているように見える。
「風は軽いアゲインスト。
あの時キャディーは
9番アイアンを勧めたんだよ」
でも青木さんは直感でピッチングウェッジを抜いたのだ。
「ボールを上げられるだけ上げて
ピンの真上から落としてやる。
止めるにはそれしかないと思っただけ。
優勝した翌年も同じ位置から打ったけど
全然届かなかったよ」

わがままを言って再現をリクエストした。
「久しぶりにここから打つな」
そう言いながら、すでに目は真剣だ。
36年を経て
側らのヤシは大きく育っていた。
いつもよりしっかり頭を残して
クラブを振り抜いた。
ボールはピンにかぶるように飛んでいった。

「卓、いまのクラブとボールは飛ぶわぁ」
グリーンに向かって歩き始めた後ろ姿、
きっと青木さんの耳には
あの時の声援が響き渡っているはずだ。

Waialae Country Club
ハワイ州ホノルル

宮本 卓Taku Miyamoto

1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。

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