今からちょうど50年前の1973年、
茨木カンツリー倶楽部西コースで
日本オープンが行われた。
当時としては初めて7000ydを超える
距離のあるコースでの戦いとなった。
最終日はフィリピンのベン・アルダと
青木功が首位で並び18番を迎えた。
青木は右のラフから6番アイアンで打ったが、
フックして痛恨のOBを喫し敗戦。
ホールアウト後ロッカールームから
出てきた青木の目は真っ赤だったという。
この当時、青木は大事なところで
フックが出て、大魚を逃していた。
一大決心をし
オフに友人の鷹巣南雄プロに教えを乞い、
フックからフェードにスイングを変更。
グリップをスクエアに直し
元に戻らないよう
粘着テープでぐるぐる巻きにして
朝から晩まで球を打ち続けた。
そして76年に初めてジャンボを抜き賞金王に。
ここから海外挑戦へと道が開いていった。
あの18番の一打の悔しさがあったからこそ、
大きく人生が変わったのだ。
今週、久しぶりに青木は茨木を訪れる。
宮本 卓Taku Miyamoto
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Clubほか、国内数々のオフィシャルフォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。