旅する写心~Home Is Where The Heart Is

ちょうど100年前、
大阪にもゴルフコースを造りたいと
二人の青年実業家、
広岡久右衛門と加賀正太郎が立ち上がった。
その時代、あえて理念に掲げたのが、
「国際競技を行えるチャンピオンコース」という
一見無謀とも思える高い理想だった。

そして1926年、茨木CCで
第一回 日本プロゴルフ選手権が行われた。
これが日本での最初のプロのトーナメントで、
優勝者は宮本留吉プロだった。
宮本は神戸ゴルフ倶楽部で
キャディとして働き始めたのがきっかけで
広岡に可愛がられ、
25年に茨木CCの所属プロとなった。
29年には日本人プロとして初めてハワイに海外遠征。
32年には茨木の有志がお金を工面し、
単独でアメリカツアーを転戦した。

「日本から来た小柄のゴルファー」が話題を呼び
当時すでに引退していたボビー・ジョーンズと
エキシビションマッチを実施。
ジョーンズに見事勝利し、
賭け金5ドルをゲットした。

その後、大西洋を渡り全英オープンにも挑戦。
飛行機がない時代に船と汽車を使って世界で戦った。
のちに茨木のメンバーの温かい支援がなかったら
このツアー転戦はできなかったと回想している。
所属プロとメンバーの強い絆。
来月、茨木CC開場100周年を記念して
日本オープンが開催される。

宮本 卓Taku Miyamoto

1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Clubほか、国内数々のオフィシャルフォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。

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