旅する写心~If You Don’t Know Me by Now

C.H.アリソンが日本のゴルフ界に
遺したものは計り知れない。
それなのに彼に関する
足跡や資料があまりにも少ない。

なかでも不思議なのは日本滞在期間だ。
2カ月だったり3カ月だったり。
来日は1930年12月説が有力だったが、
最近になって、実際は1930年11月25日だったことが
昔の新聞記事によって判明した。
カナダ太平洋汽船アジア号で
バンクーバーから横浜に到着していた。

そして東京GC朝霞コースを皮切りに
川奈、廣野、鳴尾、茨木、藤沢、霞ヶ関
のコース設計や監修に関わった。
この間ゴルフのプレーをしたのは
茨木CCのみ。
霞ヶ関CCの会報誌によると
1931年4月6日に壮行会を開いている。
そして9日に神戸・メリケン波止場から出港。
4カ月と少し日本に滞在していたのだ。

その後は一度も日本訪れることなく、
1952年10月20日、南アフリカにて死去。
先日、神戸旧居留地の三井商船ビル最上階から
目の前のメリケン波止場を眺めた。
アリソンはどういう想いで旅立ったのか。
彼のことをもっともっと知りたくなってきた。

宮本 卓Taku Miyamoto

1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Clubほか、国内数々のオフィシャルフォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。

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