旅する写心~Never Let Me Go

神戸で始まった日本のゴルフ。
隣町の大阪からも少しずつ
ゴルフの機運が高まっていった。
しかしゴルフをするために
六甲や舞子に行くには
当時2時間以上かかった。

1922年12月1日、
今からちょうど100年前の今日。
大阪梅田駅の近くに
屋内ゴルフ練習場がオープンした。
コーチは日本人初のプロ・福井覚治。
ここに集まった人がとにかくすごかった。
大阪に財界人がみんな集まり、
ゴルフに夢中になった。

技術が上達するにつれ、
早く青空の元でプレーしたいという
気持ちになるのは自然の成り行きだった。
翌年2月には、広岡久右衛門、加賀正太郎らが
茨木にゴルフ場の候補地を見つけて視察に出かけた。
一行は茨木駅から徒歩で向かう。
周りはまだほとんどが田圃(たんぼ)だった。
現在の東コース18番ホール近くの駒ケ池の向こう、
夕日に映し出された景色に一同感嘆の声を上げた。

ここなら間違いなく
素晴らしいコースができると確信。
あれ以来、一度も移転もせず
100年目を迎えるのが、
大阪ゴルフ人の熱意の結晶、
茨木カンツリー倶楽部だ。

宮本 卓Taku Miyamoto

1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。

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