
慌ただしい日常から一瞬で別世界へと誘ってくれる映画。毎月たくさんの作品が世に送り出される中で、BRUDERの読者にぜひ観てほしい良作を映画ライターの圷 滋夫(あくつしげお)さんに選んでいただきました。
『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』/公開中
今年のアカデミー賞で作品賞をはじめ主要9部門にノミネートされた話題作です。実在した卓球選手の人生に着想を得たアンチヒーロー物語を、息もできない疾走感と圧倒的な熱量で描き出します。

1950年代のニューヨークや日本などを舞台に、ビッグマウスの野心家マーティは、どんな手を使ってでも卓球で世界一を目指していました。いつも金欠で、遠征費のために勤務先の売上金を盗み、賭け卓球に手を出し、元有名女優を金づるにしようと近づきます。コンプライアンスが重視される昨今、マーティの無軌道で卑劣な人間ぶりは異彩を放ちますが、その清々しいほどの痛快さにはワクワクさせられます。しかし幼なじみで不倫関係にある恋人が妊娠し、それまでの悪行のツケが一気に回ってきて、マーティは逆境に立たされてしまいます。

『グッド・タイム』『アンカット・ダイヤモンド』などを共同で監督してきたサフディ兄弟がコンビを解消し、本作は兄ジョシュ・サフディが監督を務めました。撮影、共同脚本、音楽、衣装などは前作と同じ布陣で、都会の猥雑さと混沌とした緊迫感がスクリーン越しに伝わる語り口は、これまでの作品の雰囲気をそのまま受け継いでいます。

なかでも注目したいのがダニエル・ロパティン(=ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー)によるミニマルでサイケデリックな劇中伴奏音楽です。マーティの快楽や怒り、自己顕示欲の裏にある寂寞(せきばく)や焦燥など、揺れ動く精神世界と結びつき、言葉では言い表せない感情を表現しています。同時に単なる背景音楽を超えて作品全体の世界観を創り上げる重要な要素の一つとして、サフディ作品の斬新な映像を特徴づけています。

本作で最も強い印象を残すのが、主演のティモシー・シャラメ。『君の名前で僕を呼んで』でのブレイク以降、『レディ・バード』 『DUNE/デューン 砂の惑星』『名もなき者/A Complete Unknown』など、多くの傑作に出演する時代の寵児です。本作では、誰とも分かち合えない孤独な夢を追いながら、思いもよらない代償を負い耐え難い屈辱を引き受けてまで信念を貫こうとする主人公を、熱いエネルギーがほとばしるような躍動感で演じ切り、強く胸に響きます。そして「苦闘の先にある人として最も大切なものは何か」という普遍的な問いに対する答えまでも表現して、ゴールデングローブ賞をはじめ、多くの国際映画祭で主演男優賞を受賞しました。

マーティの宿敵エンドウは、2022年と2025年のデフリンピック男子団体で2大会連続銅メダルを獲得した実際の卓球選手、川口功人が演じています。当時のアメリカで卓球はレクリエーションのイメージが強く、スポーツとしての人気はまったくなかった一方で、日本は世界選手権で優勝し、卓球王国として大きな人気を誇っていました。そんな日本を舞台に(不忍池の野外ステージで撮影)、あのティモシー・シャラメが7年間の特訓を積んで白熱した試合を演じている姿は、時代を感じさせる日本の描写と相まってどこか不思議な感覚を味わわせてくれます。これも本作の魅力のひとつでしょう。
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『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』 https://happinet-phantom.com/martysupreme/
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圷 滋夫(あくつ・しげお)/映画・音楽ライター
映画配給会社に20年以上勤務して宣伝を担当。その後フリーランスになり主に映画と音楽のライターとして活動。鑑賞マニアで映画とライブの他に、演劇や落語、現代美術、コンテンポラリーダンス、サッカーなどにも通じている。
Edit : Yu Sakamoto








