
従来の物質主義とは一線を画す、「ミニマリスト」という生き方が広まって数年が経つ。持ち物に執着せず、いつも同じ服を着て、がらんどうの部屋で生活する世捨て人…なんてイメージを抱く人も多いかもしれない。今回は、謎めいた生活に焦点を当てる。
話を聞くのは、ミニマリストのジョイ右京氏。1980年生まれ、男性。妻と二人暮らし。非正規の大学図書館司書として働くかたわら、SNSやブログを通して生活のヒントを発信する。家庭持ちミニマリストのリアルを語ってもらった。
ミニマリストの誤解
そもそもは「物を捨てられない人間だった」という。見返すことのない書類、何年も着ていない衣服、箱に入ったままの雑貨…。18歳で実家を出て以降、引っ越しのたびに部屋の片隅に溜まった荷物に頭を抱えてきた。「ひどいときは、前回の引っ越しの段ボールがそのまま置いてあった。そんな自分が、すごく嫌になったんです」と自己嫌悪につながっていた。
5回目の転居で踏ん切りがついた。「もうどうにでもなれ、と」。コタツやソファなど大型の家具を一気に捨てると、肩の荷が下りたような気がした。「部屋で過ごすのが心地よくなりました。物が少ないと、これだけ心地いいのか」。これが原体験になった。

ジョイ右京氏にとって、ミニマルな暮らしは“ストレスのない穏やかな人生”を送るための手段だ。「私が思うミニマリストは、“自分にとって”必要最小限のもので生活すること。限界ぎりぎりの暮らしをすることではない」。むやみやたらに物を捨てることに快楽を覚えるわけではない。ミニマリストとは、自分の「足りる」を知ることなのだ。
六角レンチを捨てちゃった
ミニマリストになって生活は一変した。部屋にあふれていた荷物はクロゼットに収まる量になり、床に物がないから掃除も簡単。家中を“宝探し”することもなくなった。「(物は)少なくとも半分以下にはなった。なにがどこにあるか、把握できる量」と話す。そして、最大の変化は内面にあった。
物を捨てることは、自分で選択し、決断する行為だ。「はじめは『本当に捨てていいのか』と迷うこともあった。何回も繰り返しながら、自分の価値基準を形成していった」。自分の頭で考え、行動に移す体験は自己肯定感の向上にもつながった。

ジョイ右京氏の物を捨てる基準は以下の通りだ。
・日常的に使う物/今後使う予定が定かな物→捨てない
・今後使う予定が定かでない物/買い直せる物→捨てる
“捨てすぎた”ことはないのだろうか? 「考えてみたんですが…ないかなと思いました」と言う。数少ないエピソードを引っ張り出してもらった。「机を分解しようとしたら、購入時に付属の六角レンチを捨ててしまっていた(笑)。でもこれは、翌日にホームセンターに行って解決しました」。失敗と捉えるか、取り返しがつくと考えるかで日々は大きく変わる。
眼鏡も髭剃りもミニマリスト
昔からファッションにはこだわらなかった。それでも、毎朝なにを着るか考えたり、他人の目が気になったりと小さな悩みの種だった。「いまは機能性重視。できる限り軽く、洗濯しやすく、清潔感のあるものを着ている」。選択肢が少ないことにもメリットがある。
持ち物も「できる限りシンプルに」を心掛ける。最近はAIを搭載した汎用性の高いアイテムも増えているが、必要以上の機能は不要という考えだ。

電気シェーバーにはオンオフのボタンしかついていない。「剃れればいいので」と無駄のないものを選ぶ。鼻パッドに汚れが溜まることがストレスだった眼鏡は、パッドのないモデルを見つけた。「シンプルでいいなと。レンズも拭きやすくて、お気に入り」。持ち物そのものまでミニマリスト風である。
非ミニマリスト妻との暮らし
「主義主張の強いミニマリストに共同生活はムリ」という声が巷では大きい。たしかに、価値観が同じならともかく、そうでなければ衝突は避けがたいように思える。ジョイ右京氏がともに暮らす妻は、ミニマリストではない。
価値観の異なる二人暮らしにおいて、徹底するのが「互いのパーソナルスペースを尊重すること」だ。家には共用空間と別に、それぞれの部屋がある。ミニマルな生活の実践は、その領域にとどめる。「あくまで、このライフスタイルは私個人のもの。共同生活の面では主義を通さないよう気をつけている」と価値観を押しつけない。

相手の持ち物には口出しをしない、共同スペースのことは2人で決める――当たり前の積み重ねが円満な関係を作る。「物を捨てるかで揉めたことはない。妻も、私の考え方を理解してくれている。たぶん、普通の夫婦の二人暮らしと変わらないと思う」と話した。
ジョイ右京氏がどうしても捨てられないのが「妻からのプレゼント」。ミニマリストであろうとなかろうと、幸せな家庭を築くのに大切はことは変わらない。
「持たない」という価値
一般的な価値基準では、「持っている」ことはその人のステータスになる。車や時計、家、人脈、仕事、金…。ジョイ右京氏自身、若いころは「自分は『持っていない人間だ』」と劣等感に苛まれていたという。そうではないのかもしれない、と感じたのはミニマリストになってからのことだ。
「『持たない』ことにも価値があると思えた。持っている人も、すべてを完全にコントロールするのは難しい。持ちすぎて疲弊することもあると思う。ミニマリストになって一番の気づきは、持たないことで、むしろ穏やかに暮らせる価値もあるということです」
忙しない日々の中、必要以上の荷物を抱えてはいないか? 実体のある持ち物だけではない。自分にとっての“足りる”を考えてみる。少なくとも、物を捨てすぎたとて「もったいないお化け」は現れない。
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Edit & Text : Hiroto Goda









