寒さが厳しいこの季節に、心が温まる音楽を音楽評論家・渡辺 亨さんにセレクトしていただきました。
昨秋にインターネットで、まだ20代前半と思しきおさげ髪の女性が生ギターを弾きながら歌っている動画を見た。井上園子が淡々と歌う「カウボウイの口癖」は、“シャワーで済ますと風邪ひくぞ/父さんの口癖さ”という歌詞で始まり、“ヨロレイヒ”という、ヨーデルのお決まりのフレーズで締めくくられる。こんな「カウボウイの口癖」はどこか人を食っているようでいて、とても大切なことが歌われている。歌い手が愛に恵まれていることも伝わってくる。この動画をきっかけに、『ほころび』のCDを購入した。全曲ギターの弾き語りによるデビュー・アルバムだ。
大学卒業後、アルバイト先のライブ・バーのオーナーに勧められてギターを初めて手に取り、やがて自分で曲を作るようになった。2022年の年明けのことだというから、まだ音楽活動のキャリアは約3年。これには驚かざるを得ないが、おそらくこれまで色々な音楽を特に意識することなく耳にして、体内に蓄積し、吸収していたのだろう。彼女の中には未知の能力がまだたくさん眠っていると感じる。
井上園子 『ほころび』(2024)
カントリーやブルーグラスの影響を感じさせるギターの弾き語りや、飄々(ひょうひょう)としていながらも何かを悟っているような語り口。過ぎ去った時代の生活感をにじませた歌詞などから、フォークシンガーの高田渡を重ね合わせる人もいる。ちなみに、1971年に発売された高田の名盤『ごあいさつ』に収録されている「生活の柄」をライブでカバーしている。
ただし、ライブではヘヴィ・メタル系のオジー・オズボーンの曲も歌っているし、バンドスタイルで行うこともあるという。また、インターネットには「常磐炭坑節」の動画もアップされている。昭和生まれの僕は、子供の頃にザ・ドリフターズの替え歌で初めて知った曲で、三橋美智也や美空ひばりも録音している民謡だ。選曲自体は古いが、井上のそれは独特のリズムで歌われているので、まったくカビ臭くなく、新鮮な風が吹き抜けている。まさに温故知新の音楽だ。
既存の音楽ジャンルの定型にとらわれず、自由度が高いのも魅力だ。自作曲のコード進行も少し変わっている。あえて言うなら、彼女は“パンク・フォーク”のアーティストである。たぶん本人はギターの弾き語りという現時点のスタイルにはこだわっていないだろうし、突然音楽活動を止めて、どこか海の向こうの、日本から遠い場所に行っちゃいそうな気もする。
少なくとも僕は、井上園子の音楽的咀嚼力、現実に対する眼差しの透明感、歌詞の奥行きなどにやられた。冒頭で触れた「カウボウイの口癖」を初めて聞いたとき、途中で目の前の風景がかすんだことを素直に告白しておこう。
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渡辺 亨(わたなべ・とおる)/音楽評論家、選曲家、DJ
1959年生まれ、札幌市出身。雑誌や新聞、Web媒体で執筆するほか、ラジオやテレビに出演。著書に『音の架け橋ー快適音楽ディスクガイド』や『プリファブ・スプラウトの音楽』、『女性シンガー・ソングライターの系譜』などがある。NHK-FM『世界の快適音楽セレクション』の構成選曲、および自身のコーナーにレギュラー出演している。
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Edit : Yu Sakamoto