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正しい自己肯定感の持ち方/独身研究家・荒川和久

独自の審美眼と洞察力を持ち、各分野で活躍するスペシャリストを毎月お迎えして、センスの正体について探っていく連載「男のセンス学」。第3回は独身研究家/コラムニストの荒川和久さんが登場。「ソロ社会」という言葉の生みの親であり、マーケティング視点から独身男女の研究を行ってきたことで知られています。独身者に限らず、これまでに多様な人々を観察してきた荒川さんに、「センスのいい生き方のコツ」について伺いました。

自己肯定感という言葉をよく目にする。この言葉をタイトルにした記事や書籍、「自己肯定感をあげるセミナー」などのようなものも見かける。しかし、懸念するのは、自己肯定感という言葉の意味が勘違いされ、自己有能感(自己有用感ともいう)との混同が起きていることだ。

自己有能感とは、自分が有能・有用だと思える感情のことで、他者との関係で、自分の存在が誰かの役に立っている、貢献していると認識できる時に起きる感情である。一方、自己肯定感とは、自分の存在の意義や意味を自分自身で信じられる感情のこと。

どこがどう違うのか?と思う人もいるかもしれないが、自己有能感は、基準が他者との比較や社会の指標など自分の外部にあるのに対して、自己肯定感の基準は自分の内面にあるという点が大きく違う。


自己肯定感と自己有能感を混同している人は、あくまで他者の評価を気にする。他者から賞賛されたり、SNSで「いいね」をたくさんもらったり、給料の額だったり、所有しているクルマや時計の金額だったり…。そういうもので満足を得ているのは自己有能感が高い人であって、自己肯定しているとは限らない。

両者を混同している人がはまりやすい危険な落とし穴がある。それは「有能ではない自分は肯定できなくなる」ということだ。 試験の成績が悪かった、希望の会社に落ちた、給料が平均と比べて低い、フラれた…など何か失敗やしくじりをするたびに「ああ、自分は有能ではない」と感じると同時に「こんな無能な自分は嫌だ」と自己否定につながってしまう。

センスの悪い「自己皇帝人間」になっていないか?

有能であることと自分を認めることとは本来別である。もっといえば、他人の評価や比較でしか自分を感じられないとするならば、それこそ自分を見失っているといえる。逆にいえば、他人の評価に依存し、それによって自分は有能であり、有能だから自分を肯定できるというエセ自己肯定人間もまた自分自身を見失っているのである。

かつての「意識高い系」も同じ部類だろう。そういう人は「自己肯定感が高い人間は良い」という謎の刷り込みがされていて、自己肯定のなんたるかも知らずに「俺って自己肯定感が高いからさ」と自ら公言したりする。自己肯定感は他人にアピールするものではない。 ある程度、能力や実績を出した人が陥りやすい罠でもある。次第に「有能である俺は評価されて然るべき。俺の言う事がわからない者は無能。俺こそが正しい」とエスカレートしがちである。そうしたエセ自己肯定人間を私は「自己皇帝人間」と呼ぶ。

自己皇帝系人間は、やがて物事を客観視することができなくなり、他者の評価もできなくなるばかりか、自分の事も見えなくなってしまう。どんなに権力や財力があっても、そういう人間の生き方は「センスが悪い」と言わざるを得ない。自己皇帝人間に最終的に訪れるのは孤立である。

皇帝化していないか?

そういうふうに自己を客観視して、まずきちんと自分を取り巻く環境と自分自身をそのまま見つめるメタ認知が肝要ではないだろうか。



荒川和久

独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター。 広告会社において、数多くの企業のマーケティング戦略立案やクリエイティブ実務を担当した後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者としてメディアに多数出演。著書に『「居場所がない」人たち』『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『結婚しない男たち』『「一人で生きる」が当たり前になる社会』などがある。

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Illustration : Masashi Ashikari

Edit : Yu Sakamoto

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