タイガー・ウッズがプロ転向から続けていた
ナイキ社とのウェア契約が終わる。
96年に「全米アマ」3連覇を果たしプロ転向。
翌週に開催された「ミルウォーキー・オープン」の
記者会見場に現れたタイガーは
それまでのスタンフォード大学のユニフォームから
ナイキのウェアに身を包んでいた。
「ハロー・ワールド !」
その第一声でタイガーの物語がスタートした。
ナイキのフィル・ナイトCEOは
「彼は世界の誰もが想像つかなかったことを
やろうとしている。それはもはや芸術だ。
私はモネが生きた時代には生まれていなかったし、
絵を描いているシーンを見たことがない。
しかしタイガーがゴルフするシーンを
見ることができる。それは素晴らしいことだ」
その日以来、私の人生は大きく変わった。
PGAツアーに出向けば、それまでは
日本人選手の撮影が中心だったが、
以降はタイガーがメインだった。
ナイキを担当する広告代理店から
アジアの撮影担当に指名された。
メジャー15勝の全てを撮影できたことは
今でも誇りに思う。
最終日の赤いウェアにどれだけ興奮させられたか。
次なる戦略は何か、、、
タイガーは言った、「LAで会おう」と。
大会ホストの「ジェネシス招待」に私も向かう。
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宮本 卓Taku Miyamoto
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Clubほか、国内数々のオフィシャルフォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。