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株式会社ナノ・ユニバース代表取締役社長 濱田博人x戸賀敬城 対談「あえて留年して飛び込んだファッション業界」

大学4年生の時はバブル時代だった

戸賀敬城(以下、戸賀):暑いところ、お疲れ様でした。今日はハマさんとゴルフをご一緒させて頂きました。飲んだり、食べたり、公私問わずにお付き合いしている仲で、真面目にお話を聞くのが少し変な気分です。今回はゴルフやファッション全般にわたり、いろいろと伺えればと思っています。そもそも僕とハマさんの関係からスタートしようと思いますが……。

濱田博人(以下、濱田):普段はあまり真面目に話すことがないので、面と向ってというのは恥ずかしいですね(笑)。

戸賀:僕はナノ・ユニバースのメンズ・ディレクターという、たいへん大きな肩書きを頂戴しています。なぜ編集者歴27年の戸賀に任せようと思ったのでしょうか。

濱田:戸賀さんと直接話すようになったのは、2年くらい前になりますかね。僕はファッション業界に30年いるんですが、仕事のほとんどがメンズではなくレディースでした。読者として「MEN’S CLUB」は拝見していましたし、戸賀さんの名前は業界内でも有名だったので、色々と気になる存在だったんです。そして、ちょうど共通の友人がゴルフを始めたのが戸賀さんの影響と聞いて、「やっぱり彼もゴルフが大好きなんだ」と。最初の出会いはゴルフ場で、そこからになります。その後、僕がナノ・ユニバースの社長になって、社員達がいかに戸賀さんをリスペクトしているか知りましたし、彼らが「戸賀さんと一緒に仕事をしたい」と言ってきた時に、インスピレーションからふたつ返事でOKを出しました。でも、本当に戸賀さんが引き受けてくれるのか……という気持ちもありました。

戸賀:2年間お付き合いしてきて、一番いい話を聞けた気がします(笑)。僕自身も約30年間ファッション業界にいますから、色々な友人がいます。ナノ・ユニバースでの仕事をスタートしたこともありますが、ハマさんの話題は本当によく耳にしています。ちなみに学校を出られてから、まずどのような仕事に就いたのでしょうか。

濱田:大学4年生の時はバブル時代だったんですが、昭和62年に就職活動をして、渋谷にある某大手不動産会社に勤めるつもりでした。ただ、内定式で堅苦しい雰囲気を感じて、「ここで一生仕事していくのは無理かもしれない」と思ってしまったんです。それで、大学の教授とも相談して、あえて大学を留年しました。もう1年大学に残って、就職をもう一度考えなおそうと。その時、留年を決めたひとつの理由がファッションです。地方から東京に出てきた時、表参道にカルチャーショックを受けた自分がいました。こういった所で仕事をしたいと思っても、どこか「自分には無理」と思っていたんです。 大学4年間を東京で暮らして、やはりどうしてもファッション方面に行きたい。でも、仕事である以上、しっかりした業種にいくべきという葛藤もありました。結局、留年をしてもアパレルに行きたい、表参道で働きたいという思いが強く、新卒として入社したのが表参道に本社のあるサンエー・インターナショナルです。

戸賀:以降ずっとレディースを担当してきたんですか?

濱田:当時はバブル絶頂期だったので、ボディコンブランドから入って、営業やマーチャンダイジングを担当しました。30代からは店舗開発という、どちらかというと新規チャネルの開発をやらせてもらって、そこがすごく楽しかったですね。マーケティング的な仕事にドンドンのめり込んでいきました。

戸賀:比較的早くに役員にもなられましたね。

濱田:ちょうど会社の成長期だったので、ポジションが取りやすかったんでしょう。僕が入社した当時、サンエー・インターナショナルという会社はそんなに規模も大きくなかったんです。新卒を本格的に採用し始めて間もない状況だったこともあって、現在TSIホールディングスの三宅(正彦)会長も、息子のように僕を可愛がってくれました。自分自身の手でチャンスを掴んできたというよりは、育てて頂いたという印象です。時代も含めて、常にいい立ち位置で色々な仕事を経験させてもらった気がします。

戸賀:そして、ナノ・ユニバースでいきなりメンズを手がけた上に、初めての社長ですよね?

濱田:社長業自体は初めてではなかったんですが、メンズに関してはやったことがなかったので、少し戸惑いはありました。ただ、それまでもマーケット全般を見ていましたし、実際ナノ・ユニバースもメンズだけではなく、ウィメンズの売り上げもかなりありました。日頃から自分が接していたチャネルに存在していたんですね。それもあって比較的抵抗感はなかったですし、何よりも働いている主力メンバーとは以前からコミュニケーションを取れていたことも大きかったです。普通は外から社長が入ってくると、お手並み拝見という状況にもなるんですが、幹部クラスが歓迎してくれたのは嬉しかったですね。

戸賀:ハマさんが入る前から、僕自身はナノ・ユニバースと様々な仕事をしてきたんですが、すごく現場の空気が明るくなりましたね。

濱田:そうかもしれないですね。

戸賀:社員みんなで飲みに行ったり、ゴルフもするようになりました。僕もディレクターとして2年目に入って、毎週プレスやMDと打ち合わせしたり、海外出張にも何度か行きましたが、すごくいいチームだと実感しています。

濱田:ありがとうございます。

自分たちが楽しまない限り、消費者を楽しませることはできない

戸賀:僕は「MEN’S CLUB」に10年いたんですが、長いこと一緒にいる編集部のようなチーム感があります。ファッションやカルチャーはバラバラなスタッフが集まっているのに、考えていることは一緒という。

濱田:それは本当に嬉しいですね。冒頭にも言いましたが、僕自身1年遠回りしてファッション業界に入ってきました。いま考えると笑い話なんですが、当時は1年間留年したことが、8割くらい後悔していたんです。「やはり大会社に行くべきだったのか」と。だからこそ、そこまでしてファッション業界に入った以上はファッションを楽しもうと考えました。当時は残業代も出なかったり、働き方改革なんてとんでもない世界でした。でも、まったく苦労した記憶はありません。やはり好きなことをできて楽しかったので、そのことの方が記憶に残っています。ここ10年ほど、ファッション産業は厳しいと言われ続けてきました。「アパレル不況」、「アパレル衰退」、「セレクト受難」なんて、言われてきましたよね。

確かにナノ・ユニバースも一時期業績が厳しかったからこそ、僕が入ることになった。だからと言って、世の中に蔓延していた「遊ぶことは悪である」とか「チャラチャラしていると仕事していない」という雰囲気に、僕自身は否定的でした。楽しむためにファッション業界に入ったわけですし、世の中に対して何かを発信していきたいからこそ、この業界に入ったという自負があります。自分たちが楽しまない限り、消費者を楽しませることはできない。それが持論です。まず、社員が仕事を楽しめているか?その環境づくりが一番重要だと思っています。

戸賀:改めていい会社ですよね。そして、ファッションに関しても同感です。ファッションも出版も斜陽と言われていますが、ハマさんがナノ・ユニバースの業績を回復させたように、僕も僅かながらですが、苦しかったメディアを育ててきたつもりです。そういった気持ちがあった上で楽しく仕事をしていれば、たとえ業界全体が厳しくても、勝ち残れるはずです。フォローの風に乗ることができますよね。

濱田:それは間違いないです。戸賀さんが言ったように、やはりみんなが楽しんでいるところには風が吹いて、結果的に追い風に乗れますから。

─次回は8月13日公開。「ゴルフ感」について伺います。

PROFILE : 株式会社ナノ・ユニバース代表取締役社長 濱田博人(はまだひろと)

1965年、熊本出身。
(株)サンエーインターナショナル執行役員、(株)TSIホールディングス 取締役を経て、2016年7月(株)ナノ・ユニバース代表取締役社長就任。趣味はゴルフ、トレーニング。

COOPERATION
取材協力

カメリアヒルズカントリークラブ

国内女子トーナメント「アース・モンダミンカップ」開催コース。安田幸吉氏の設計によるコースはフラットで広いフェアウェイと巧みに配されたハザードにより、すべてのプレイヤーが楽しめる正統派の美しいコースに仕上がっている。また、クラブハウス内はヨーロピアンエレガンスに統一し、心安らぐ空間で贅を尽くした施設ときめ細かな温かいサービスをご提供している

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