毎日暑い日が続きますが、そんな時こそ背筋がゾクッ…とするホラー映画を見て涼んでみるのはいかが?ただ怖いだけはない、重厚な人間ドラマも描かれた作品を映画ライターの圷 滋夫(あくつ・しげお)さんに選んでいただきました。
アンテベラム(2020)
ミュージシャンとして早くからその地位を築き、近年は俳優としての評価も得ているジャネール・モネイが初主演した衝撃的なサスペンス・ホラーです。
「アンテベラム」とはアメリカで南北戦争以前を意味し、ジャネール・モネイは南部の綿花プランテーションに奴隷として連れてこられたエデンと、現代に生きるリベラル派のベストセラー作家ヴェロニカの二役を演じています。
エデンは、黒人が「下等な者」として会話さえ禁じられ、過酷な労働に日々従事させられる農園からの脱出を計画します。一方、ヴェロニカは優しい夫と可愛い娘と幸せに暮らし、著作や講演を通じて家父長制や黒人・女性差別に抗い、自由と権利の獲得を目指しています。そしてある日エデンはついに計画を実行し、一方ヴェロニカは悪夢のような出来事に遭遇しますが…。
本作の見所は、別々に描かれる二人の物語が、いつどのように一つに絡み合うかという点です。その謎を解くヒントは不穏な物語のあちこちに散りばめられています。会話の端々や目に映る何かが手掛かりですが、それと分かるのは後になってからです(二回目の鑑賞でそれらを確認する楽しみもあります)。巧妙に人々の先入観の裏をかいた驚愕の展開や、謎が明かされた後のスリリングで過激な映像表現は観客の背筋を凍らせるでしょう。同時に、その強烈で明快な社会的メッセージに、心を貫かれるはずです。
トランプ前大統領の暗殺未遂を経た今、本作が描く分断された社会の行き着く先は決して絵空事(えそらごと)ではなく、現実と地続きの世界だと感じてしまいます。そんな人々の心の中にこそ本当の恐怖があるのです。
アザーズ(2001)
ニコール・キッドマン主演で、第二次世界大戦末期、イギリスの霧深い孤島を舞台にしたゴシック・ホラーです。キッドマンは出征した夫を待ちながら古い豪邸を守り、光アレルギーの幼い姉弟を育てる母グレースを演じています。
ホラー映画には色々なタイプがありますが、本作にはグロテスクな流血や残虐な殺人もなく、唐突な効果音や音楽で脅かすこともありません。新たに雇った3人の使用人が到着してから、屋敷内で奇怪な現象が起こり始め、次第に追い詰められてゆくグレース。その心理的な抑圧を張り詰めた空気感の中で細やかに描き出し、観客の心の中にも少しずつ恐怖が膨らんでいきます。
まず光アレルギーの二人の子どもたちのためにカーテンをすべて閉め切り、出入りのたびにすべての部屋の鍵をかけるという物理的にも閉鎖的な屋敷のルールによって、冒頭から異様な世界観に引きずり込まれます。どこからか聞こえてくる足音や泣き声、弾かれるはずのないピアノの調べ。子どもたちは見知らぬ家族を目撃し、絵に描いていました。
やがて明かされる屋敷とグレース自身の秘密。そこには恐怖とともに、なす術なく一人苦境に立たされた彼女の孤独と不幸、そして母と子の深い愛情が浮き彫りになります。また生真面目な宗教観に基づく厳格さが強迫観念になっていくグレースと、何かを悟ったかのように冷静な家政婦長との関係性が、対峙から少しずつ変化していく様子にも注目です。そして息を呑むようなラストで、すべての想いが浄化されます。
本作はホラー映画であると同時に、切なくも哀しい、格調高い人間ドラマでもあるのです。監督はスペインの奇才アレハンドロ・アベナーバルで、独創的な脚本と抑制された効果的な音楽も本人が手掛けています。
ラストナイト・イン・ソーホー(2021)
ロンドンを舞台に現代と60年代を行き来するサイコ・ホラーで、冒頭から終焉まで息もつかせぬ展開で引き込まれるジェットコースター・ムービーです。ミステリーやミュージカルの要素も盛り込み、最後には切なさと爽やかな想いで胸が満たされる青春映画の傑作でもあります。さらに、夢見る少女を搾取しダークな世界に引きずり込む大人や、男性優位の社会システムがフェミニズム的視点から描かれ、その現代的なメッセージが作品に厚みを与えています。
ファッション・デザイナーを目指して学校に通うエロイーズは、霊感が強く不思議な力を持っています。彼女は夢の中で60年代のソーホーに迷い込み、歌手を目指している美しく才能あふれるサンディと出会い、二人は何度も会ううちに心身ともにシンクロするようになります。ある夜、エロイーズはサンディが凄惨な事件に巻き込まれるのを目撃し…。
本作にはさまざまな対比が登場します。まずエロイーズとサンディという主人公、現代と60年代、夢と現実、そして死者と生者などです。それら隣合わせの対比を何度も行き来し、時に交じり合う物語が、斬新な映像とノスタルジックな音楽によって描かれます。エロイーズとサンディがシンクロするダンスシーンは、二人を演じるトーマシン・マッケンジーとアニャ・テイラー=ジョイの魅力が爆発し、鏡の効果を最大限に活かした目くるめくカメラワークと美しい照明も相まって、それこそ夢見心地で見入ってしまうはずです。
また60年代の赤と青の派手なネオンサインやスウィンギング・ロンドンの色鮮やかなファッションが、どこかに毒を含んだ極彩色としてスクリーンを飛び交いとても刺激的です。
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圷 滋夫(あくつ・しげお)/映画・音楽ライター
映画配給会社に20年以上勤務して宣伝を担当。その後フリーランスになり主に映画と音楽のライターとして活動。鑑賞マニアで映画とライブの他に、演劇や落語、現代美術、コンテンポラリーダンス、サッカーなどにも通じている。
Edit : Yu Sakamoto