慌ただしい日常から一瞬で別世界へと誘ってくれる映画。毎月たくさんの作品が世に送り出される中で、BRUDERの読者にぜひ観てほしい良作を映画ライターの圷 滋夫(あくつしげお)さんに選んでいただきました。
『シンシン/SING SING』/ 4月11日公開
仲間と共に歩み、高みを目指して努力を重ね、逆境に立ち向かう。時には対立や裏切りを乗り越え、ようやくたどり着いたその先の景色に、心が大きく動かされる。これはあらゆる娯楽作品に共通する王道の展開でしょう。描かれる題材はスポーツを筆頭に、音楽や犯罪をテーマにした作品まで実に幅広い。本作もそんな王道の物語ですが、他と一線を画すのが、舞台が刑務所であり、事実が基になっているという点です。
“シンシン”とはニューヨークに実在する刑務所の名前です。警備レベルが最も厳しい収監施設で、更生プログラムの一環として演劇が導入されています。共同作業を通じて責任感と忍耐力を養い、劇中の人物を演じることで、さまざまな価値観や感情に触れて自分自身を見つめ直す。そして舞台で拍手喝采を浴びることで、生きる意義を実感し、社会における個人の関わり方を学んでいくのです。実際にこのプログラムによって、再犯率は低下しているといいます。
無実の罪で収監されたディヴァインGは、演劇の中心人物として関わる中で、生きる希望を見出しています。彼は仲間たちと次の公演に向けた準備を始めますが、そこに素行の悪いアイが新たに加わることになります。演技経験がなく感情的なアイの意見は早くも波紋を呼び、メンバーとの間に溝が生まれてしまいます。ディヴァインGはアイと粘り強く向き合い、少しずつ打ち解けていきますが、そんな矢先、思いもよらぬことが起きてしまい…。
映画鑑賞の前に一切情報を入れない人もいますが、本作に関しては一つ知っておいた方がいい事実があります。ディヴァインG役でオスカー主演男優賞にノミネートされたコールマン・ドミンゴ以外の出演者のほとんどが、プロの俳優ではなく、実際にシンシンの演劇更生プログラムの経験者なのです。彼らの役名はエンドロールで「as himself」(=本人役)と表示されます。それは、虚構である劇映画の中に現実が入り込むことを意味し、現実と演技の境目があいまいになっていくような感覚をもたらします。劇中劇の配役を決めるオーデイションやワークショップでは彼らもフィーチャーされ、自分自身について本音で語り、心に秘めた傷をさらけ出します。その一言一言にリアリティが宿り、これまでの人生と役柄が重なることで、観る者の胸を強く打つのです。
印象的なのが、そのうちの一人が語る「俺たちは人間に戻るために集まっている」という言葉。彼らが人生を見つめ直し、少しずつ友情を育みながら再生へと向かい、何かを成し遂げようと力を合わせている姿を見ると、こうも思えてきます。刑務所は高い壁で社会と隔てられていますが、本当の“壁”はもしかしたら我々の心の中にある何気ない偏見と不寛容なのではないかと。彼らの努力だけでなく、私たちの気づきこそが、痛みや絶望を希望に変え、より良い世界を作るきっかけになるのではないでしょうか。
本作はSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)映画祭で観客賞を受賞した、分かりやすいエンタメ作品です。それでいて語り口には一筋縄ではいかない趣向が凝らされ、爽やかなラストシーンの先には現代社会への問いかけにつながる奥深さもあります。そして、オスカー歌曲賞にノミネートされた「Like a Bird」が流れるエンドロールは、笑いながら心が震えるまさかの映像が観られるので、見逃し厳禁です!
最後に蛇足ながら。“他と一線を画す”と書きましたが、やはり刑務所の演劇更生プログラムを描いた『塀の中のジュリアス・シーザー』(2012)というイタリア映画もおすすめです。本作とは何の関係もありませんが、こちらも事実を基にしたタヴィアーニ兄弟の傑作なので、機会があればぜひご覧ください。
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『シンシン/SING SING』 https://gaga.ne.jp/singsing/
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圷 滋夫(あくつ・しげお)/映画・音楽ライター
映画配給会社に20年以上勤務して宣伝を担当。その後フリーランスになり主に映画と音楽のライターとして活動。鑑賞マニアで映画とライブの他に、演劇や落語、現代美術、コンテンポラリーダンス、サッカーなどにも通じている。
Edit : Yu Sakamoto