
目抜き通りに伸びる一本のわき道。「東京」をぶらぶらと散歩すると、どんな出会いがあるのか。今回は五反田駅で電車を降りた。(BRUDER編集部・合田拓斗)
五反田「岡崎写真館」
ある家族の写真を見た。昔に撮影されたもので色あせている。3人の家族。父親はスーツに背中を伸ばし、赤ん坊を抱いた母親の口には紅の色がある。歳に似合わない真面目な顔だった。その目は未来を向いている。何十年も続く幸せの日々。自分たちを結ぶ細い糸に、心地よくもたれて。
写真というものが嫌いだった。写る人たちの時間は紙の上に凍りついて、先で起こることをなに一つ知らない。ぷつん、と糸が切れる。彼らはその音を聞かない。

夏の盛りだった。五反田のソニー通りに、「写真館」の看板がのぞく。輪郭を墨で引いたような黒枠の玄関。スモークガラスに夕闇の迫る街路が映る。陰の下に、足を向けた。

店内は白壁のシンプルなつくりだった。入口のわきに写真が積み上がる。息子を戦地に送る家族の白黒写真、お腹に子を宿した母親の肖像、成人式の振り袖姿。写真館が収めてきた人々の記録だ。奥には照明器具に囲まれた撮影ブースがある。子ども用の背の低い椅子が置かれていた。

「岡崎写真館」の始まりは1929年にさかのぼる。初代の伊與田孫一さんは、自身の名前ではなく、出身地の愛知県岡崎市を店名につけた。まだ新幹線のなかった時代。24歳の青年にとって、故郷は今よりずっと遠かった。
孫で3代目の彰さんは、「じいちゃんには『岡崎を忘れないように』という思いがあった。東京に出たら、もう帰らない覚悟だったみたいです」と話す。1945年の空襲で店は全焼した。それでも、同年に通りの反対側へ移転して営業を再開。一度切れた縁を紡ぎ直すように、働いた。

彰さんの記憶に残るのは優しい祖父とは違う。「厳しい人でした。毅然として、あまり近づけない。職人という感じだった」。仕事着のハンチング帽を覚えている。「僕も真似をして被っています。技術もですが、見た目もね」と受け継いだ。

彰さんの子ども時代、生家は写真館と地続きだった。「スタジオは遊び場でした」。ご飯は撮影ブースに置いたちゃぶ台で食べた。現像液の酸っぱいにおいが満ちた暗室では、「鼠だ!」と驚かされた。「思い出ですね。いつも、写真が身近だった」と言う。
しかし、その道のりは単調ではなかった。大学卒業後は写真会社に就職し、技術系営業の仕事をした。「反抗期だった。写真館なんてやらない、と思っていた」。転機は20年後に訪れる。店を切り盛りしていた父の正志さんが、病で倒れた。「約100年続く写真館の灯を、絶やしてはいけないだろう」。家業を継ぐ覚悟を決めた。

病床から復帰した正志さんと、二人三脚の日々。意見がぶつかることも少なくなかったという。「やっぱり親子2人だとね(笑)。僕は昔の撮影方法も好きだけど、新しいことも取り入れなきゃと。親父はデジタル撮影は嫌いでした」
フィルムを撮り続けた正志さんは、「写真は一枚で撮るもの」とこだわった。何枚でも撮れるデジタルと異なり、一瞬にすべてを注ぎ込む。
ある日の父の姿が忘れられない。100人の集合写真で、正志さんはシャッターを一回しか切らなかった。目をつむったかもと息子が心配すると、「いや、大丈夫だ」。現像された写真は、全員がしっかりカメラを見ていた。「父は100人の誰が目をつむったか分かるんですよ。本当に、神がかっている」。その背中はいまだ遠いと感じる。

昔は、「写真に写ると魂が抜かれる」という迷信があった。撮る側も撮られる側も、一回に心を込めたからだ。デジタル撮影が全盛のいまも、写真館の姿勢は変わらない。「ただシャッターを切るんじゃない。お客様と話しながら、『この人の表情ってどんな感じか』を六感まで使って感じ取る」。写るのが苦手な人もいる。そのなかで、いかに表情を引き出し、写真に収めるか。「僕の生きがい。天職です」と笑った。

数十年後の未来。押入れから、一冊のアルバムが顔を出す。そこにはあの日の自分がいる。「写真には人を幸せにする力がある、と信じています。撮影は一瞬ですが、形に残せば、『このときは笑えていたんだ』って。いつか自分を救ってくれる」。たった0.01秒。瞬間に、過去も未来も結ばれる。

写真館を出ると通りに長い影が伸びていた。一日の最後の光が、ビル群を斜めに横切る。頬に当たる風はひんやりしていた。陽の名残りを追うように、道を曲がった。

過ぎたものは戻らないと思っていた。でも違った。写真を撮るのは、糸を離さないためだ。見返すたびに、何度も、何度も握り直す。わたしはまた帰ることができる。

目黒川に浮かぶ夕空にカメラを向けた。モノクロのビルに挟まれた青い地図。こぼれゆく時間に、手を伸ばす。
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Edit & Text & Photo : Hiroto Goda








