
目抜き通りに伸びる一本のわき道。「東京」をぶらぶらと散歩すると、どんな出会いがあるのか。今回は要町駅で電車を降りた。(BRUDER編集部・合田拓斗)
池袋「新栄堂書店」
立教通りに入ると、建物の連なりが宙にアーチを描く先に、赤レンガの大学校舎が浮かんだ。昔の友人との会話を思い出す。レンガの積み方に妙にこだわる人で、建築を見るたび「イギリス積みは頑丈」「フランス積みは美しい」などと言っていた。不思議なことに、心にはそんな無駄話ばかり降り積もる。

ちょうど試験期間だったらしい。すれ違いに論文や単位について話すのが聞こえた。内容の深刻さのわりに、軽々しく浮ついた声だった。馴染みのある危機感のなさ。二歩進むたび一歩下がるようにして池袋駅まで歩く。あのころ、時間は余るほどあったのだ。

信号待ちで携帯を開く。癖だった。目的地までの最短ルートを確認し、到着後の動きを考える。無駄を削った。寄り道をしなくなった。毎日はするすると予定通りに進んだ。レンガの話をする時間は、もうなかった。

歩いたことのない場所を歩きたいと思った。心の向くままに、道を曲がる。メトロポリタン口を出て高架下をくぐり、サンシャインシティのある東口側へ。交差点の先に、「東通り」という看板を見た。

心地のいい日陰の道だった。けばけばしたところがない。まるで夜陰の街灯みたいに、洒落た個人店がぽつぽつ現れる。やがて、通りの幅がきゅっと狭まったころ、赤レンガの建物と出会った。

「新栄堂書店」の歴史は1946年に始まった。戦後に香港の軍需工場から帰国した初代の柳内宗次さんは、惨禍の跡が残る池袋の駅前に店を開いた。紙が貴重品だった時代。柳内さんは神田までリヤカーを引き、焼け残った本を買い集めては、ミカン箱に並べた。

書店は経済復興とともに大きく成長した。池袋では“西の芳林堂・東の新栄堂”と呼ばれるほど存在感を高め、最盛期には駅ビルやデパート、郊外にまで出店を拡大。しかしインターネットが登場し、デジタル化が進むと、人々は本屋に行かなくなった。規模は縮小し、2006年に駅前の1号店が閉店した。

いまは2017年に開いた現店舗だけが残る。喧騒を離れた商店街の一角には、地元住民を中心に、通りがけにふらりと立ち寄る客も多い。店長の古川努さんは、「うちは“まちの本屋さん”。11坪しかなく、スタッフは私ともう一人しかいませんが、人の心に寄り添う書店でありたい」と話す。
常連らしい客が入ってきた。本の題名を書いたメモを持っている。古川さんはひと目見て、たたっと隅の棚まで行き、一冊抜き出してきた。「目録はありませんが、小さい店なのですぐに探せますよ」。コンマ何秒の応答にはない親しみがある。

限られたスペースながら、扱うジャンルは幅広い。「間口は広く。本に触れてもらうきっかけになれば」という思いからだ。「ベストセラーばかりではない。大型書店だと埋もれてしまうような作品を、セレクトしています」。迷路のように続く棚をじっくり見て回り、心の動いた本に手を伸ばせばいい。

情報をいかに速く、楽に得るかが重視される時代になった。SNSの流行を次々に消費し、動画を倍速で視聴し、疑問はAIに問いかける。そんな時代だからこそ、古川さんは紙の本の力を実感する。
「“タイパ”は否定しません。ただやっぱり、自分で本を選び取って、自分のペースで読むこと。行間を読んだり、余白を感じたりする時間って、今の時代では贅沢だと思う。まあ私は紙の本を売って、読んでいる人間なので、きっと贔屓はありますけどね(笑)」

古川さんの休日は物語と音楽が彩る。家事や用事を済ますと、お気に入りのレコードをかけ、買いためた本を読み耽る。ページを繰る手が止まらない日もあれば、ゆっくり咀嚼しながら読む日もある。たまに席を立って、レコードを裏返す。「僕にとっては日常。時間を自分の思うように使えるというのは……最高ですよね」

いつの間にか、近道を探すようになっていた。それは本当に近道だったのか。そんなことを考えながら、帰り道は遠回りをした。
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東京の道を曲がる
Edit & Text & Photo : Hiroto Goda








