慌ただしい日常から一瞬で別世界へと誘ってくれる映画。毎月たくさんの作品が世に送り出される中で、BRUDERの読者にぜひ観てほしい良作を映画ライターの圷 滋夫(あくつしげお)さんに選んでいただきました。
『シビル・ウォー アメリカ最後の⽇』/ 10月4日公開
今年の春にアメリカで公開され、大ヒットを記録した話題作が遂に日本でも公開されます。本作は「アメリカが2つに分断されて内戦が起きたら?」という、“もしもの世界”が描かれます。しかし、7月にはトランプ前大統領暗殺未遂事件が起こり、11月の大統領選を控えて両陣営が激しい舌戦を繰り広げる今、単なる絵空事とは思えない切実な現実が世界に広がっているのです。このタイミングでの日本の公開は、作品をより深く味わうための絶好の機会となるでしょう。
物語は政府軍が劣勢となる中、戦場カメラマンのリーと記者のジョエルが、大統領の最後のインタビューを取るために行動を共にします。リーの恩師のベテラン記者サミーと野心を抱くカメラマン志望のジェシーが加わり、4人は車でニューヨークからワシントンD.C.へと向かいます。しかし次々と想像を絶する狂気に直面し、常軌を逸した極限状態の中で心身ともに疲弊していきます。果たしてリーとジョエルはホワイトハウスにたどり着き、大統領のインタビューを取れるのか?
本作は内戦を描いていますが、カメラが追うのは勝利の行方ではありません。両軍を現実世界と同じリベラル派と保守派に分けない状況設定が秀逸で、専制政治の影がちらつく政府軍と、現実ではリベラルと保守を代表するカリフォルニア州とテキサス州の2州が反乱軍として同盟を組んでいるため、安直なポピュリズム的対立項にはならないのです。つまり政治的な主張は一切描かず、勝ち負けによる単純な一喜一憂を避けることで、観客は戦争そのものの不条理と、より本質的な生と死に対峙することになります。だからこそ中立的なジャーナリストが主人公になっているのです。
生と死の境界線に立つジャーナリスト4人の視点から描いたこの作品は、観客を否応なく戦場の最前線に引きずり出し、誰もがその言い知れぬ恐怖に立ち尽くすはずです。当然多くの死が描かれますが、ヒーロー映画のように、パンチひとつや爆弾1個で大勢をなぎ倒すような死ではありません。一人の人間が死に至る姿を容赦なく克明に見せつける描写には、異様な緊迫感がみなぎり、それが何度も繰り返されるとより根源的な恐怖が胸の中に湧いてきます。そしてその背景には人間が本来持っている残虐性と、差別意識や保身のための無関心などの醜悪さも浮き彫りになってきます。
とは言え、物語は社会や人間の暗部だけではなく、一筋の希望の光も描いています。若いジェシーはカメラマンとしても人としても未熟ですが、ワシントンD.C.への旅を進める中で様々な経験を積んで少しずつ成長していきます。特に終盤で陥るまさに生き地獄としか表現できない事態は、彼女の心に深く刻み込まれます。そして戦場カメラマンである限り、常につきまとう「助けるべきか、撮るべきか」という問いが、物語を大きく左右するのです。ジェシーを瑞々しく演じたケイリー・スピーニーは最注目の若手俳優で、彼女が憧れるリーを演じたキルスティン・ダンストと見事なアンサンブルを見せてくれます。
さらに特筆すべきは、技術面の素晴らしさです。まず撮影は戦場と化した日常を手持ちカメラでリアルに切り撮りながら、スローモーションやドローン撮影、写真としての静止画を織り交ぜ、凄惨な場面も飛び散る火花などで幻想的に見せています。その立体的な映像表現は、感情を強く揺さぶると同時に、本編に独特のリズムを生み出しています。 何より驚かされたのは、音響の強烈さです。迫力のあるリアルな銃声や爆発音はまるで本当に戦場にいるかのような圧倒的な臨場感ですが、その後に訪れる無音の場面の静寂が見事なコントラストとなり、心の動揺と恐怖を倍増させます。
こうして本作は、優れた豊潤なビジュアルと、センスの良いスコア(劇伴)や的確な挿入歌を含む極上のサウンドが高次元で絡み合うことで、これまでにない深い没入感を生み出しています。年末には必ずやベスト10の上位にランキングされるであろうこの衝撃作を、ぜひ音響の良い映画館で“体感”してください。
『シビル・ウォー アメリカ最後の⽇』 https://happinet-phantom.com/a24/civilwar/
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圷 滋夫(あくつ・しげお)/映画・音楽ライター
映画配給会社に20年以上勤務して宣伝を担当。その後フリーランスになり主に映画と音楽のライターとして活動。鑑賞マニアで映画とライブの他に、演劇や落語、現代美術、コンテンポラリーダンス、サッカーなどにも通じている。
Edit : Yu Sakamoto