神戸に越して早一年、
日本のゴルフの誕生にまつわる話を
色々な人から聞ける
至福の時間を愉しんでいる。
ゴルフのあとにお茶を飲みながら、
ときにはワイングラスを揺らしながら…
お爺さんから聞いた昔話、
父親からゴルフを教わった話。
そんな話は周りの景色と馴染んで
とてもリアルに入ってくる。
ボクの好きな話のひとつが
廣野GCの土地を探し求めて
4人の男が三木の村を歩いた話。
昭和の始めごろ関西財界人は
舞子カンツリー倶楽部(現・垂水ゴルフ倶楽部)か
鳴尾ゴルフ倶楽部に入っていた。
ゴルフ人口が増え始め、
新しいコースを作ろうという気運が
関西財界人の間で広がった。
昭和5年にロンドン帰りの高畑誠一を先頭に
鋳谷正輔、鈴木岩蔵、伊藤長蔵の4人で
三木にコースの土地探しにでかけた。
当初目星をつけていた土地を4人は気に入らなかったが
帰り道に通りかかった松林に
4人の心は踊った。
そこは狩場だったところで
持ち主は旧三田城主の九鬼隆輝子爵の所有地。
4人はさっそく九鬼子爵に相談。
半年後、東京ゴルフ倶楽部の招聘で来日中の
アリソンに高畑誠一が廣野GC設計を依頼する。
今思えば恐ろしいほどの行動力。
当時は神戸、根岸、仙谷、箱根、旧軽井沢、
どれも短いコースばかりで
本格的なコースは廣野GCが初めてとなった。
ボクは廣野GCに向かう道すがら
いつもこの話を胸に抱きながら
松林を眺め廣野の門をくぐる。。
宮本 卓Taku Miyamoto
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。