バーの扉を開けるように「ナイン・ストーリーズ」を読む

友人からでも、家族からでも、書評でも、課題図書でもない「オススメの本」を読んだことはありますか? 現実と少し距離を置く“小説の世界”への入り口は、時に不意の方が新鮮で心踊りそう。東京・六本木の本屋「文喫 六本木」のブックディレクター・及川貴子さんにBRUDER読者をイメージした一冊を選んでもらいました。

『ナイン・ストーリーズ』/J.D.サリンジャー

長編小説を、少しずつ山を登るように読破するのも楽しいものですが、忙しない時間の中では、なかなか手が伸びないこともあると思います。そんな時には、隙間時間でさらりと読めて、それでいて読み終わったあとも、頭の片隅に余韻として残るような短編小説がおすすめです。

この本には、9つの人生の1シーンが収められています。著者は、『ライ麦畑でつかまえて』などの青春小説でも知られるサリンジャーです。それぞれの物語の登場人物らの会話によって、ひとつのストーリーが展開されていくのですが、彼が活き活きと描く会話文には、戦争で受けた傷跡、人間の弱さや悲しみ、追憶といった繊細な心の機微が、ユーモアと切なさとともに描かれています。

「君はとにかく目を開けて、バナナフィッシュがいないか見張っていてくれたまえ。今日は絶好のバナナフィッシュ日和だからね」――「バナナフィッシュ日和」より

「このドアから出ていったら、僕はもう、僕を知っている人たちの頭のなかにしか存在しないかもしれない」――「テディ」より

まるでお酒を片手に、友人たちの会話を聞いているような気持ちにさせてくれる臨場感。そこには確かに一人の人間の人生があり、どこまでも想像できる余地のある空間と、必要以上に考えずに、感じるだけで十分な空気感があるのです。読むたびに新しい気づきや発見があり、何度も手に取りたくなる。息抜きに、バーの扉を開けるように読みたい一冊です。

『ナイン・ストーリーズ』J.D.サリンジャー著、野崎孝訳(新潮社)/¥605(税込)

COOPERATION

文喫 六本木 副店長/ブックディレクター 及川貴子

2018年日本出版販売入社。2022年4月より文喫 六本木副店長兼ブックディレクターとして、企画選書や展示イベント企画、本のある空間のプロデュースなどを行う。

  • Edit : Junko Itoi
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