トランジットジェネラルオフィス 代表取締役社長 中村貞裕x戸賀敬城 対談「30歳で訪れた転機をチャンスに」

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取材者と取材対象者から、ゴルフ仲間に

戸賀敬城(以下、戸賀):今日はお疲れ様でした。風がすごくて、疲れましたね。ヘトヘトです(笑)。

中村貞裕(以下、中村):黄砂もすごかったので、目が腫れてしまいました。

戸賀:16番ホールを終えて、17番、18番をパー・パーで回れば、なんとかお互いの目標は超えないという状況だったんですが、最後にどどっと崩れてしまいました。

中村:風のせいですね(笑)。

戸賀:そんな僕らは、月1のペースで3年くらいゴルフをやっていますよね。流れるとすれば、仕事より雨ですかね?

中村:そうですね、僕らは少しでも雨が降ったら、やめてしまいますね。

戸賀:さて、中村くんといえば“ミーハー”で有名なんですが……。ふたりの関係や、出会いはいつ頃?

中村:僕は戸賀さんが雑誌をやっていた時代から一方的に知っていました。一番最初に仕事で関わったのは、僕のお店を取材して頂いたとき。戸賀さんの雑誌で取り上げてくれたのをきっかけに、ご挨拶したんだと思います。取材者と取材対象という形ですね。個人的な取材もあったりして、だんだんと僕の人となりを知って、気に入ってくれたんじゃないですか(笑)?

戸賀:僕がいつも行っている焼肉屋の「うしごろ」の仕事もしていて。セッティングしてくれたのが、7年くらい前だから……それより前だと思う。今は3年くらい一緒にゴルフをやって、タイミングが合えば、飲みに行って反省会という流れだけど。

中村:僕がゴルフを始めたのが3年前で、そこから可愛がってもらえる関係になりましたよね。改めて、ラウンド中もお話ししましたけど、ゴルフを始めて良かったなと思っています。

戸賀:僕らは4人でゴルフに行ってるんですが、午前中オネスト(自己申告)して、午後は1位と4位、2位と3位がペアを組む。僕と中村くんは、だいたい2位と3位で組んでいて、6:4で勝っているイメージ。だから、ゴルフ場では結束が高い仲間ですね。

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パーティをオーガナイズした伊勢丹時代

戸賀:僕は中村君のことを何でも知ってるはずですが、大学を卒業してから伊勢丹に入社したけど。それこそイケイケの時代の伊勢丹に。まずは、その辺りの気持ちから聞かせて欲しい。

中村:こう言うと、ちゃんと就職活動をしている人に悪いんですが、「バイヤーがかっこいいなぁ」と思って。海外にも行けたりしますしね。大学の先輩が多く務めていたこともありますし、あまり地方に行きたくなかった。伊勢丹は都心が中心じゃないですか、海外も含めて。海外への転勤があったとしても、ロンドン、ニューヨーク、香港、シンガポールがいいと、思ったんです。

あとは2~3年でやめて起業しようと考えていたので、商売も学べると思ったんですよ。 そのタイミングで、僕の恩師でもある藤巻(幸大)さんが「解放区」を立ち上げたんです。若手デザイナーから買い取って、1Fの一番いい場所で売るという「解放区」を作った。それが売れてくると、2Fにショップが持てるという、若手を育てる素晴らしい企画をしていたんです。それが、すごい脚光を浴びていた。

就職が決まるか決まらないかのタイミングで、そのニュースを見たんです。藤巻さんの下で、藤巻さんのような仕事をしたいというのが、本当の動機でした。きっかけ自体は、さっき言ったミーハーな理由ですが、本当に決めたのは藤巻さんの下で働きたいということでした。

戸賀:就職して、すぐに藤巻さんと仕事をするようになったの?

中村:2年目から、アシスタントというか、同じ部署の同じチームでずっとですね。僕が退社するまでずっと一緒でした。

戸賀:憧れの藤巻さんと一緒に仕事ができたのに、なぜ退職を考えたの?

中村:伊勢丹にいたのは5~6年ですかね。なんでも長く続かないんです(笑)。スケボーをやってみても、ちょっとできるようになると辞めてしまう。DJ、サーフィン、料理……。部活なんかも2~3カ月でやめてしまう。何も続かないんですね。

もちろん伊勢丹入っても、「もうやだな」と思ってしまった。憧れの藤巻さんの下でもでした。 でも、退職届を出したら、藤巻さんが「何をやりたいんだ。辞めるつもりで、好きなことやれ」と、言ってくれました。藤巻さんは僕を買ってくれていました。外で遊ぶ、なかなかいないタイプだったので、面白いと思っていたんでしょうね。学生時代からクラブを借りて、パーティを開催していました。

藤巻さんの下にいると、ものすごい数の方に合うんです。実際に紹介していただいて、あっという間に名刺が増える。顔見知りが増えていくんだけど、忙しくて誰とも仲良くなれなかった。 それで、毎週金曜日だけ残業せずに、パーティをやらせて欲しいとお願いしました。色々な人を集めるサロンパーティを始めたんです。「文句を言われたら、俺が守る」と、藤巻さんは言ってくれました。下に優しく、上に厳しい人だったので……。 その当時、広尾に「カフェ・デ・プレ」がオープンしていました。

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戸賀:伊勢丹には何か戻していたの?

中村:ほぼ赤字でした(笑)。すごく凝ったイベントだったんです。なぜ、そんなことをやったのかと言えば、伊勢丹時代、自腹で有給を使って、藤巻さんのニューヨークやパリ出張について行っていたんです。そういうことには積極的だったので(笑)。

そこでは、昼間にお茶をしていたような場所が、夜になると一変していました。 カーテンで中が見えなくなっていて、入口にはセキュリティが立っている。中をのぞいてみると、音楽がガンガンにかかっていて、パーティをやっている。でも、入ろうとすると、「ノー」って断られてしまう。すごい悔しくて、交渉するけど、入れてもらえない。セキュリティが横を向いている間に入ってみると、昼間普通のカフェだったところに、DJが入って、ファッションピープルが集まっていた。それがすごくカッコよくて、そういったことをやろうと思いました。

当時の文化服装学院の学生、今活躍している新田桂一君たちに、一緒にやってもらいました。午後8時に「カフェ・デ・プレ」が閉店して、その後の2時間で準備をする。赤いビロードのカーテンをガムテープで窓に覆って、中が何も見えないようにしたんです。なぜ赤にしたのかといえば、壁が赤ったから。 「Over Ground Tokyo Salon Rouge」という名称にしました。僕らは学生じゃないので、「Over Ground」なことをやろうと。

エントランスには3人、タキシードを着た人を立たせて、完全招待制。ゲストパスがある人しか入れなかったんです。そのゲストは友達を連れてきてもいいと。毎回リストを作っていたら、あっという間に人気が高まって、ゲストリストもいっぱいになりました。 DJは田中知之さんとか、「UFO(ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション)」、「Dimitri From Paris」。

その当時、デビューしたばかりのミハラヤスヒロ君の靴のショーをやったり、色々なことをやりました。藤巻さんも色々な人を呼んでくれましたね。 でも、本業じゃないのに、忙しくなってしまいました。伊勢丹的にも「中村は、人脈はすごいけど、仕事全然しないし、どうせすぐ辞める」と、誰も怒らなくなってしまった(笑)。

不思議な存在になってしまったんです。伊勢丹にいた人に聞けば、「あいつは仕事しなかった」と、全員が言うと思います。まったく仕事をしないので有名だった(笑)。

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30歳で決めた、伊勢丹からの退職

戸賀:その、パーティを仕切っていたのは何年目くらい?

中村:5年目あたりですかね。ただ、それが話題になったので、「Rouge」プロデュースのブランドのオープニングパーティや、ファッションショーの演出も頼まれたりしたんです。だんだん「Rouge」のイベントチームが忙しくなってきた。僕自身は「やばいやばい」ってなったけど、藤巻さんは「いいよ、いいよ」って。 そんなことをやっている間、「BPQC」という地下2階のフロアをライフスタイルショップにするという伊勢丹の企画に、藤巻さんと僕が抜擢されたんです。藤巻さんが僕を部署に引っ張ってくれました。その時、パーティで知り合ったグラフィックデザイナーをロゴ製作に使ったり、ショッピングバックやオーガニックコスメなど、その時の関係を色々と使うことができました。会社的には「泳がせておいて良かったな」と、なったんです。 そうしたら、藤巻さんが40歳を機にやめてしまった。藤巻さんが辞めたことで、僕の立場がどんどん悪くなった。「全然仕事しない人」みたいな(笑)。それもあって、僕も30歳くらいで独立しようという思いがあったので、退職を決めました。 会社的に「仕事はしないけど、仕事ができるやつ」という、雰囲気は作れたんですよ。2~3年目に辞めようとした時は、親も、藤巻さんも、上司も反対しました。でも、30歳の時はみんなが歓迎してくれて。大切な親や恩師が「辞めた方がいい」となった時が、辞めどきだと思って退職しました。あれは藤巻さんが辞めて、2カ月後でした。

戸賀:飽きっぽかったっていうけれど、やっぱり面白かったんだね。

中村:藤巻さんの下で働くことがすごく刺激的でした。人の付き合い方、特に後輩でも目線を一緒にして話してくれることなどですね。すごく楽しかった時期ですし、一番成長した時期でもあります。

戸賀:僕も、メディアとして藤巻さんと何度もお話ししたけど、人懐っこいというか、可愛がってくれる人だったよね。本当に中村君を可愛がって、暖かく見守ってもらっていたってことだね。

中村:もちろん悪いところもあるんですけど、そこは反面教師として(笑)。

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「仕事後の仕事場カフェ」というコンセプトで始めた「OFFICE」

スタートは雑居ビルの5階「OFFICE」というカフェ

戸賀:今や、僕らの業界では、トランジットの中村君を知らない人はいないし、色々な活動を積極的にやっていますが、トランジットのスタートはどういった状況だったの?

中村:会社を辞めて、何をしようかって時に、まずイベント会社を考えました。そして、先ほど言った1万人という良いリストもある。ならば、人を集める、飲食もありかな思いました。イベントと飲食、どちらにしようかと迷っている時に、駒沢に「バワリー・キッチン」というカフェができたんです。本当に辞めるタイミングだったんですが、そこに行って、山本宇一さんと話しをしました。山本さん、すごく生き生きとししていたんですよ。来ているお客さんも、僕の友達が多くて、こういったことが僕に向いているんじゃないかと。 ダイナースタイルのカフェをやるのが、その時に僕が一番できることで、流行るんじゃないかと思ったんです。今だったら、また別のことを考えたのかもしれないんですが、カフェがいいとすぐに考えたんですね。

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戸賀:そういった流れが、確かにあった。

中村:周りもカフェをやっていることが、イケている雰囲気になっていました。「誰がカフェをやるんだ」って話にもなっていて、友達やイベント仲間が「中村君やってよ」と。それで、僕が代表でやる雰囲気になってしまった(笑)。それが、「OFFICE」というカフェです。 当時、父が1階と2階でトラットリアをやっていて、そのビルの倉庫と事務所で僕らはよくミーティングをしていたんです。このエレベーターもない、階段で上がる雑居ビルの5階。ただ景色はすごく良かった。ここをカフェにしちゃおうという話で、一気に進めました。半年くらいですかね。その当時仲良くなったインテリアデザイナーやグラフィックデザイナー、15人くらいの仲間と手弁当でなんとかオープンしました。本当に今考えると、全然安普請で、お金使わないで作ったのが「OFFICE」です。 僕らはカフェでミーティングしたり、打ち合わせしたりすることが多かったので、「仕事後の仕事場カフェ」というコンセプトのカフェにしようと、「OFFICE」という名前にしました。

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待ち合わせの専門店というコンセプトで始めた「Sign」代官山駅前店

戸賀:スタートさせて場所はどこから?

中村:外苑前の5階です。それが18年くらい前ですね。「OFFICE」が上手くいって、すごく混んだんですよ。1階と2階のトラットリアが混んでなかったので、雑居ビルの階段で行く5階なんて、上手くいくわけがない。ところが、上手くいった。だったら「1階と2階も僕にやらせてくれないか」と、父親に言いました。それが「プロデュース」と「運営受託」という、現在やっている仕事の半分くらい、そのスタートになりました。 当時、お店の前で待ち合わせる人が多くて、今度は「待ち合わせの専門店」で、外苑の目印というコンセプトのカフェを作ったらいいんじゃないかと考えました。そして、みんなの目印というコンセプトで「 Sign」を始めたら、それも上手くいったんですよ。次に代官山駅前で、もととも「Starbucks」になりそうだった場所に展開しました。 当時、特に大企業の一匹狼のような若手の人が、僕みたいなヤツを捕まえてきて、オリジナルで面白いもの作ろうと、一緒にプレゼンする機会が多かったんです。その人たちは、その後出世してくれました(笑)。そんな訳で、今度は代官山に「 Sign」をつくろうと言ってくれました。代官山でも上手くいって、仕事が仕事を呼んで、だんだん今に至る感じです。

戸賀:僕が関わっているのはプライベートが多いけど、中村君は上の人に可愛がってもらうというか、声を掛けられやすいよね。

中村:基本的に断らない方針です(笑)。

戸賀:中村君の人望やきっかけは、チャンスになっているよね。代官山の話を聞いても、ご自身のパワーもあるけど、機会を逃さない。いい機会が多いよね。

中村:そうですね……。

─第2回目の公開は6月7日を予定。「人生で一番長く続いている趣味、ゴルフ」について伺います。

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PROFILE : トランジットジェネラルオフィス 代表取締役社長 中村貞裕(なかむら さだひろ)

1971年、東京都出身。
慶應義塾大学卒業後、伊勢丹へ入社。30歳で同社を退職し起業。カフェブームの立役者の一人で「Sign」といった人気カフェを経営する一方でプロデュース業やホテル等オペレーション事業、イベント・ケータリング事業など幅広く活動。いま最も注目される経営者の一人。ゴルフ歴3年、ベストスコア93

COOPERATION - 取材協力
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成田ゴルフ倶楽部

恵まれた地形を存分に活かして造られた丘陵コースで、自然との調和を大切にした設計は川田太三氏。各ホールは特徴が有り、プレーヤーの挑戦意欲を高める。幅広くゴルフを堪能できるコース。

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